源雅定
平安時代後期の公卿・歌人。源雅実の次男。母は郁芳門院女房(田上二郎または藤原経生の娘)。正二位・右大臣、左近衛大将。久我家2代
源 雅定(みなもと の まささだ)は、平安時代後期の公卿・歌人。村上源氏、太政大臣・源雅実の次男。官位は正二位・右大臣、左近衛大将。中院右大臣と号す。久我家2代。
『天子摂関御影』 | |
時代 | 平安時代後期 |
生誕 | 嘉保元年(1094年) |
死没 | 応保2年5月27日(1162年7月11日) |
別名 | 中院入道右大臣 |
官位 | 正二位、右大臣、左近衛大将 |
主君 | 堀河天皇→鳥羽天皇→崇徳天皇→近衛天皇 |
氏族 | 村上源氏久我流 |
父母 |
父:源雅実 母:田上二郎または藤原経生の娘 |
兄弟 | 顕通、雅定、女子、御匣殿 |
妻 | 正室:藤原顕季の娘 |
子 |
養子:雅通 猶子:定房 |
人物
編集- 素直でよく気が付き、堅苦しい所もなく魅力的な性格であった[1]。また、学才もあり、朝廷の儀式にも通じていたとされる[2]。
- 鳥羽天皇の時代に入り、村上源氏に代わって閑院流が外戚の地位を得たことで村上源氏は政治の中枢から外れていくことになる(父・雅実の太政大臣昇進も実質は名誉職への棚上げである)。しかし、妻の姪である美福門院が国母になったことで、近衛天皇の準外戚の地位を確保することに成功し、58歳にて大臣の地位を確保することに成功した[3]。
- 幼時より舞楽に長じ、康和3年(1101年)3月9日の白河院50歳の賀の試楽における童舞で、9歳にして『胡飲酒』を舞い、賞賛された[4]。父・雅実は雅定の舞の技能に自信を持っていたためか、嘉承元年(1106年)に開催された石清水臨時祭における一の舞に雅定が選ばれなかったことに腹を立て、途中で帰京してしまったとの逸話がある[5]。また、『胡飲酒』を伝える楽家の多資忠が1100年に山村政連(資忠の伯父の外孫)に殺害された際[6]、『胡飲酒』を伝受されていた雅実が資忠の子の忠方に伝えた逸話[7]があるが、雅実が死去してからは、忠方は雅定を師としていたとされる[8]。
- 豊原時元から伝授を受けた笙にも秀で、嘉応2年(1170年)までに開催された御遊において、各種記録に記された笙の演奏回数が2位の藤原宗忠を大きく引き離して最多となっている[9]。
- 歌人としては藤原顕輔・源俊頼らと交渉があり『金葉和歌集』以下の勅撰和歌集に入集している。
大鏡の増補を行った「皇后宮大夫」について
編集古くから『大鏡』の増補を行った「皇后宮大夫」を雅定に比定する説がありこれが通説とされているが、これは不明とされている同書の本編作者が増補作者の一族とされる推測から本編作者を村上源氏に求める論者から広い支持があるからであり、これに対して藤原一族に求める研究家からは同じ「皇后宮大夫」経験者である藤原家忠説などの異論も出されている。
官歴
編集- 長治2年(1105年) 叙爵、侍従、右少将(12歳)
- 長治3年(1106年) 従五位上、兼周防介
- 嘉祥2年(1107年) 正五位下
- 天仁2年(1109年) 従四位下、従四位上
- 天永2年(1111年) 兼美作権介、正四位下
- 永久3年(1115年) 右中将
- 永久4年(1116年) 兼備中介
- 元永2年(1119年) 参議(26歳)、中将如元
- 元永3年(1120年) 兼美作権守
- 保安2年(1121年) 従三位
- 保安3年(1122年) 権中納言
- 大治4年(1129年) 正三位
- 大治5年(1130年) 兼右衛門督
- 大治6年(1131年) 検非違使別当、中納言
- 天承2年(1132年) 左衛門督
- 長承3年(1134年) 従二位
- 保延2年(1136年) 正二位、権大納言
- 保延6年(1140年) 兼左大将
- 永治元年(1141年) 兼皇后宮大夫
- 久安5年(1149年) 内大臣(58歳)、左大将如元
- 久安6年(1150年) 右大臣、左大将如元
- 仁平4年(1154年)5月28日 出家
系譜
編集脚注
編集- ^ 『今鏡』293段。
- ^ 『今鏡』291段、『台記』久寿元年(1154年)5月27日・28日条、『続教訓抄』、『体源抄』。
- ^ 元木泰雄 著「平安末期の村上源氏」、上田正昭 編『古代の日本と渡来の文化』学生社、1997年。/所収:元木泰雄『中世前期政治史研究』吉川弘文館、2024年9月、163-177頁。ISBN 978-4-642-02988-9。
- ^ 『今鏡』65段、『中右記』康和3年3月9日条。
- ^ 『今鏡』285段、『中右記』嘉承元年3月15日条。
- ^ 「多資忠殺人事件」の真相とは?親子殺害の背景に2つの秘曲?平安時代の雅楽ミステリー安藤整、和樂web、小学館、2020.05.05
- ^ 『古事談』『続古事談』『古今著聞集』『教訓抄』『体源抄』『雑秘別録』等による。
- ^ 『中右記』長承元年(1132年)3月23日条。
- ^ 竹鼻績『今鏡(下)』講談社学術文庫、1984年。
参考文献
編集- 国史大辞典編集委員会(編)『国史大辞典 第13巻』吉川弘文館 ISBN 4642005137