源道良
源 道良(みなもと の みちよし)は、平安時代後期の公卿。醍醐源氏高明流、中納言・源資綱の次男。官位は従三位・太皇太后宮権大夫。
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 永承5年(1050年) |
死没 | 天永2年4月24日(1111年6月2日) |
官位 | 従三位、太皇太后宮権大夫 |
主君 | 後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇→堀河天皇 |
氏族 | 醍醐源氏高明流 |
父母 | 父:源資綱、母:源道方の娘 |
兄弟 | 家賢、道良、明家、時家、覚俊、御匣殿 |
妻 | 源高房の娘 |
子 | 顕良、道経、宗時、豪覚、隆実 |
経歴
編集後冷泉朝末の治暦3年(1067年)左近衛少将に任ぜられると、後冷泉・後三条・白河の三朝13年に亘って近衛少将を務める。
承暦4年(1080年)左馬頭に遷ると、これを堀河朝半ばまで15年近く務める。この間に春宮・実仁親王の春宮権亮を務めたほか、寛治元年(1087年)には輔仁親王の元服において理髪を務めている[1]。
寛治8年(1094年)大蔵卿に遷り、康和2年(1100年)には従三位に叙され公卿に列す。康和4年(1102年)太皇太后宮権大夫を兼ねた。
官歴
編集注釈のないものは『公卿補任』のによる。