千鳥抄』(ちどりしょう)は、『源氏物語』の注釈書である。『源氏物語千鳥抄』(げんじものがたりちどりしょう)あるいは『源氏物語難儀抄』(げんじものがたりなんぎしょう)と呼ばれることもある。

概要

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河海抄』の著者である四辻善成至徳3年(1386年)7月26日から嘉慶2年(1388年)11月30日にかけて30数回にわたって行った『源氏物語』についての講義の内容を、聴講者の一人だった大内氏の家臣平井相助が30年以上経過した応永26年(1419年)3月下旬になって当時の記録を元にとりまとめ、これを主君の大内持世に献上したものが本書である。講義の後で平井が四辻にさまざまな質問して得た回答も含めたもので、聞書形態の注釈書としては最も古い時代に成立したものである。またこれ自体が『源氏物語』の全巻に亘る講義が行われた最も古い記録でもある。写本には1巻のものと2巻のものとがある。

注釈書としての価値

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本書の注釈としての内容は、巻序を追って源氏物語の本文から難解な語句を取り出して簡単な注釈を加えたものである。かつて本書は「あくまで四辻善成の説を記したものであり、四辻善成の説は『河海抄』において最も整った形で示されている。」と考えられてきたため、「注釈書としての価値はあまりない」とされてきた。しかしながら、本書の内容を詳細に調べると、『河海抄』と異なる注釈が行われている部分が存在し、中には後に成立した『花鳥余情』と一致するものが存在することが明らかになってきた。これについては、

  • 後世の『花鳥余情』からの混入とする説
  • 『花鳥余情』と一致する部分は四辻善成の『河海抄』が著されて以後の見解であるとする説

が存在する。

書名

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本書は伝本によって以下のようなさまざまな書名が記されている。

  • 『源氏物語千鳥抄』 - 続群書類従本、静嘉堂文庫蔵本
  • 『千鳥』 - 宮内庁書陵部蔵本、東京大学文学部国語研究室所蔵本
  • 『源氏御談義』 - 天理図書館本、桃園文庫本、三条西家本、東北大学本、清心女子大学本
  • 『源氏物語御談義』 - 倉野憲司旧蔵本
  • 『源氏談義』 - 宮内庁書陵部蔵桂宮本
  • 源氏物語聞書』 - 松平文庫本
  • 『相助聞書』 - 徳島光慶図書館蔵本
  • 『源注』 - 加持井宮家旧蔵本

しかしながら多くの伝本に附されている跋文によると、著者自身が付けた書名が『千鳥』または『千鳥抄』であると考えられるため、一般に『千鳥抄』と呼ばれている。

主要な写本及び伝本系統

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本書には数多くの伝本が存在するが、書名や奥書・勘物の有無や跋文の位置のほか項目の異同など伝本間の違いは少なくない。本書の写本及び版本は、さまざまな観点から3つないし4つの伝本系統に分けられるが、その基準は学者によっていくつかの異なった観点からのものが存在する。

待井新一は奥書・勘物の有無や跋文の位置によって以下の3つの系統に分類している[1]

大津有一は奥書の有無と内容によって以下の4つの系統に分類している[2]

  • 兼純奥書本系統 - 桂宮本『千鳥』
  • 藤斎・龍翔院奥書本系統 - 桂宮本『源氏談義』、書陵部本『源注』、倉野本
  • 宗祇奥書本系統 - 続群書類従本
  • 無奥書本系統 - 天理図書館蔵本

片桐洋一は、項目の脱落や後世の補記と見られる記述の有無などといった内容そのものから以下のように分類している[3]

  • 項目の脱落は見られないものの、後世の花鳥余情などからの補記が認められる藤斎・龍翔院奥書本系統
  • 後世の補記は認められないものの、記述に脱落が認められる系統。これはさらに宗祇奥書本系統及び無奥書本系統と兼純奥書本系統とに分けられる

講義の日付

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伝本によって若干の違いはあるものの、各巻の巻名の下にそれぞれの巻が講義された日付を意味するとみられる記載がある。そこから講義は概ね巻序に従って行われたことが分かるが、一部に巻序とは前後する記載があり、これが日付の記載の誤りなのか講義が行われた日そのものが前後していたのかについては諸説ある。

巻名 記載 推定講義日
01 桐壺 (無し) 至徳3年7月26日 [4]
02 帚木 至徳三 八 五 至徳3年8月5日 [5]
03 空蝉 八 十三 至徳3年8月13日
04 夕顔 同日
05 若紫 八 十九 至徳3年8月19日 [6]
06 末摘花 九 二 至徳3年9月2日
07 紅葉賀 九 十九 至徳3年9月19日
08 花宴 九 十九
09 九 十五 至徳3年9月15日 [7]
10 賢木 九 廿 至徳3年9月20日
11 花散里 九 二十
12 須磨 (無し) 不明
13 明石 (無し) 不明
14 澪標 十 三 至徳3年10月3日
15 蓬生 十 三 [8]
16 関屋 [8]
17 絵合 十 九 至徳3年10月9日
18 松風 十 九
19 薄雲
20 朝顔 十 十五 至徳3年10月15日
21 少女 十 十五 [6]
22 玉鬘 十 廿八日 至徳3年10月28日
23 初音 正 廿 至徳4年正月20日 [9]
24 胡蝶 十 廿八 至徳3年10月28日
25 十一 三 至徳3年11月3日
26 常夏 十一 三
27 篝火 十一 三
28 野分 十一 九 至徳3年11月9日
29 行幸 十一 九
30 藤袴 十一月十五 至徳3年11月15日
31 真木柱 十一十五
32 梅枝 十一廿二 至徳3年11月22日
33 藤裏葉 十一廿二
34 若菜上 十一廿七 十二三 至徳3年11月27日
至徳3年12月3日
若菜下 十二 三 至徳3年12月3日 [6]
35 柏木 十二廿二 至徳3年12月22日 [10]
36 横笛 十二廿二
37 鈴虫 正廿 至徳4年正月20日
38 夕霧 二 三 至徳4年2月3日
39 御法 至徳四 二 十 至徳4年2月10日
40 二 十
41 雲隠 二 十
42 匂宮 二 十六 至徳4年2月16日
43 紅梅 二 十六
44 竹河 嘉慶二年卯十 嘉慶2年4月10日 [10]
45 橋姫 廿八卯十三 嘉慶2年4月13日
46 椎本 廿九 卯 十五 嘉慶2年4月15日
47 総角 十 十四 嘉慶2年10月14日
48 早蕨 十 十六 嘉慶2年10月16日 [10]
49 宿木 十 廿四 嘉慶2年10月24日
50 東屋 十一 九 嘉慶2年11月9日
51 浮舟 十一 廿 嘉慶2年11月20日 [10]
52 蜻蛉 嘉慶二 十一 廿九 嘉慶2年11月29日 [11]
53 手習 十一 廿九
54 夢浮橋 卅日 嘉慶2年11月30日

翻刻・影印

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  • 「源氏物語千鳥抄」塙保己一編纂太田藤四郎補訂正3版『続群書類従 第18輯 下 物語部・日記部・紀行部』続群書類従完成会、1976年(昭和51年)、pp. 627-1347。
  • 古田東朔・松田修「源氏御談義(千鳥抄)(上)」福岡女子大学文学部『文芸と思想』通号第16号、福岡女子大学文学部 1958年(昭和33年)10月、pp. 57-72。
  • 古田東朔・松田修「倉野憲司博士所蔵本源氏御談義(千鳥抄)(下)」福岡女子大学文学部『文芸と思想』通号第20号、福岡女子大学文学部 1960年(昭和35年)10月、 pp. 47-60。
  • 天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編『源氏物語千鳥抄』1982年(昭和57年)11月14日。 ISBN 4-8406-9158-4
    片桐洋一解題
  • 中島義彦編「倉野本『源氏御談義-千鳥抄-』影印と解題」武蔵野書院、2012年(平成24年)。ISBN 4-838604351

脚注

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  1. ^ 待井新一「源氏物語千鳥抄の考察 諸本の分類と原著形態について」東京大学国語国文学会『月刊 国語と国文学』第40巻第10号(通号第475号)、至文堂、1963年(昭和38年)10月。
  2. ^ 大津有一「千鳥抄について」重松信弘博士頌寿会編『重松信弘博士頌寿記念論文集 源氏物語の探究』風間書房、1974年。
  3. ^ 片桐洋一「解題 千鳥抄」天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編『天理図書館善本叢書 千鳥抄』八木書店、1982年11月。
  4. ^ いずれの伝本にも「桐壺」には日付とみられる記載がないが、これは至徳3年7月26日の講義初日に初巻の「桐壺」の講義が行われたことから特に日付を但書する必要を得なかったためだと考えられる。
  5. ^ 加治井宮旧蔵本による。書陵部本は記載無し。
  6. ^ a b c 書陵部本・倉野本・九州大学本による。加治井宮旧蔵本は記載無し。
  7. ^ この日付は前後するが、国語学者の橋本進吉は「十五」は「十九」の誤りではないかとしている。
  8. ^ a b 書陵部本・倉野本・加治井宮旧蔵本は記載無し。
  9. ^ この「初音」が「正 廿」と記されていることについて、前後の巻が10月になっていることから「正」は「十」の誤りではないかとする見方もあるが、誤りではなく『実隆公記』などに見られる「初音」を正月に講ずる慣例の確認出来る早い例だとする見方もある。
  10. ^ a b c d 加治井宮家旧蔵本・倉野本による。書陵部本は記載無し。
  11. ^ 加治井宮家旧蔵本・倉野本による。書陵部本は「嘉慶二」が無く、九州大学蔵本では「嘉慶二 十一 廿三」(嘉慶2年11月23日)となっている。

参考文献

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  • 橋本進吉「源氏物語千鳥抄について」東京大学国語国文学会『国語と国文学』至文堂、第2巻第10号(通号第18号)源氏物語特集号、1925年(大正14年)10月、pp. 258-266。 のち『橋本進吉博士著作集 第12冊 伝記・典籍研究』岩波書店、1972年(昭和47年)5月、pp. 309-316。 ISBN 4-00-001422-6.
  • 吉森佳奈子「『千鳥抄』の位置」紫式部学会編『むらさき』通号第33号、武蔵野書院、1996年(平成8年)12月、pp. 21-30。 のち『『河海抄』の『源氏物語』』研究叢書 301、和泉書院、2003年(平成15年)10月、pp. 361-276。 ISBN 4-7576-0224-3
  • 岩坪健「『源氏物語千鳥抄』の系統と位置付け」片桐洋一編『王朝文学の本質と変容 散文編』研究叢書 277、和泉書院、2001年(平成13年)11月、pp. 329-341。 ISBN 4-7576-0138-7
  • 大津有一「千鳥抄について」重松信弘博士頌寿会編『重松信弘博士頌寿記念論文集 源氏物語の探究』風間書房、1974年(昭和49年)
  • 片桐洋一「当座の聞書と聞書の当座性--「源氏物語千鳥抄」新攷」岩波書店編『文学』第50巻第11号 (源氏物語-3-) 、岩波書店、1982年(昭和57年)11月、pp. 117-129。
  • 松田修「「源氏御談義(千鳥抄)」私見」京都大学文学部国語学国文学研究室編『国語国文』第30巻第3号、中央図書出版社、1961年(昭和36年)4月
  • 伊井春樹「源氏物語古注釈事典 千鳥抄」『源氏物語事典』 秋山虔編、学燈社〈別冊国文学〉No.36、1989年(平成元年)5月10日、pp. 312-313。
  • 「千鳥抄」伊井春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、2001年(平成13年)9月15日、pp. 430-432。 ISBN 4-490-10591-6