源 康俊(みなもと の やすとし、生没年不明)は、室町時代後期の公家官位従三位宮内卿一条家諸大夫

 
源 康俊
時代 室町時代後期
生誕 不明
死没 不明
別名 則俊
官位 従三位宮内卿
主君 一条兼良
氏族 醍醐源氏
父母 源季賢
久任政氏一条兼良
猶子富小路俊通
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概要

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文明元年(1469年)7月18日に従三位に叙され、同2年4月8日には出家した。文明3年(1471年)に土佐国に下向し、現地で死去している。

一族には、土佐一条氏に仕えた久任(子)や康任(孫、久任の甥)、康政(康任の子か)がいる[1][2]

官歴

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注記のないものは『歴名土代』による。

系譜

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 朝倉慶景「土佐一条兼定時代文書にみられる康政についての一考察」(『土佐史談』168号、1985年)
  2. ^ 『高知県人名事典』新版(1999年版)「源康政」
  3. ^ 尊卑分脈