港区立赤坂小学校

東京都港区にある小学校

港区立赤坂小学校(みなとくりつ あかさかしょうがっこう)は、東京都港区赤坂八丁目にある公立小学校である。付近には港区立赤坂中学校と港区立中之町幼稚園がある。旧檜町小学校の地に校舎がある。

港区立赤坂小学校
Akasaka Elementary School
地図北緯35度40分8.94秒 東経139度43分51.79秒 / 北緯35.6691500度 東経139.7310528度 / 35.6691500; 139.7310528座標: 北緯35度40分8.94秒 東経139度43分51.79秒 / 北緯35.6691500度 東経139.7310528度 / 35.6691500; 139.7310528
過去の名称 区立赤坂小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 港区
併合学校 港区立赤坂小学校(旧)
港区立檜町小学校
港区立氷川小学校
設立年月日 1993年平成5年)
4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B113210300155 ウィキデータを編集
小学校コード 203290
所在地 107-0052
東京都港区赤坂八丁目13番29号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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沿革

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  • 1873年明治6年)- 赤坂一ツ木町に旧赤坂小学校の前身である第三中学区第三番小学校茜陵学校(せんりょうがっこう)が設立された。
  • 1875年(明治8年) - 校舎増改築を機に赤坂小学校と改称[1]
  • 1889年(明治22年) - 中之町分校(檜町小学校[2])が設けられた。市制施行に伴い東京市管轄となる。
  • 1908年(明治41年) - 氷川小学校が設けられた。
  • 1929年昭和4年) - 氷川小は勝海舟邸宅跡に移転。
  • 1941年(昭和16年) - 国民学校令にともない各校とも改称(赤坂国民学校、檜町国民学校、氷川国民学校)。
  • 1942年(昭和17年) - 檜町国民学校(檜町小)は、乃木希典の旧邸宅及び乃木神社がある場所柄もあり、乃木国民学校と改称した。
  • 1947年(昭和22年) - 終戦後(敗戦後)、学校教育法の施行にともない、それぞれ港区立の小学校となる。
  • 1991年(平成3年)4月 - 赤坂小学校と檜町小学校を統合。校地は檜町小学校。
  • 1992年平成4年)
    • 4月4日 - 赤坂小学校廃止
    • 9月25日 - 檜町、氷川両小学校の廃止と(新)赤坂小学校設置が決定される。
  • 1993年(平成5年)
    • 3月31日 - 檜町小学校と氷川小学校が廃止される。
    • 4月1日 - 旧檜町小学校の現在地に(新)港区立赤坂小学校が開校。
  • 1994年(平成6年)4月1日 - 港区研究奨励校となる。
  • 1999年(平成11年)1月18日 - サイエンスグランプリ学校賞受賞。
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 東京都人権尊重教育推進指定校。
  • 2011年(平成23年)3月31日 - 東京都健康研究推進校優秀校授賞。

教育方針

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教育目標[3]
「やさしさと思いやりのある子」「よく学びよく遊ぶ子」「心と体をきたえる子」
小学校の児童数と教員数[4]
年度 児童総数 1年生 2年生 3年生 4年生 5年生 6年生 教員数 職員数
平成23年 365人 63人 68人 62人 57人 65人 50人 18人 12人
平成24年 377人 53人 66人 76人 62人 57人 63人 18人 7人
平成25年 352人 58人 50人 64人 70人 58人 52人 18人 4人
平成26年 353人 59人 59人 50人 61人 68人 56人 19人 4人
平成27年 358人 64人 57人 58人 50人 62人 67人 18人 4人
平成28年 371人 64人 68人 62人 60人 51人 66人 21人 5人
平成29年 385人 66人 67人 72人 61人 65人 54人 23人 4人
平成30年 428人 93人 70人 68人 70人 61人 66人 24人 4人
令和元年 456人 87人 97人 69人 68人 74人 61人 25人 5人
令和2年 502人 97人 86人 102人 70人 68人 79人 24人 4人
令和3年 513人 101人 91人 85人 98人 70人 68人 28人 6人
令和4年 537人 108人 98人 86人 82人 95人 68人 29人 6人
令和5年 581人 118人 104人 97人 86人 81人 95人 33人 3人

通学区域

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住所別通学区域(平成27年4月1日から適用)[5]
六本木二丁目 元赤坂一丁目、二丁目 赤坂一丁目 - 九丁目 南青山一丁目
全域 全域 全域 13 - 26番
進学先中学校(平成27年4月1日から適用)[5]
小学校学校名 中学校学校名
港区立赤坂小学校 港区立赤坂中学校

交通

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鉄道
バス

関係者

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出身者
旧・赤坂小学校
旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)
旧・氷川小学校

港区立赤坂小学校(旧)

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1873年から1992年まで、赤坂小学校(旧)が設けられていた。現在の赤坂小学校(新)の前身にあたる檜町小学校(旧)の地に併合されるまで、かつて大岡越前守の屋敷があった青山通り沿い界隈(港区赤坂4-1-26)の地に存在した。跡地には現在国際医療福祉大学が建設された。

歴史

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  • 1873年(明治6年)6月30日 - 寄付金により校舎着工する。第三中学区第三番小学校茜陵学校(せんりょうがっこう)開校。
  • 1875年(明治8年) - 校舎増改築を機に赤坂小学校と改称。
  • 1879年(明治12年)9月22日 - 赤坂庶民夜学校開校。
  • 1881年(明治14年) - 赤坂庶民夜学校が赤坂小に併合し、同校付属夜学校になる[6]
  • 1889年(明治22年)12月7日 - 総工費6840円をかけ、二階建て洋風校舎(木造)竣工。1918年まで使われた[7]
  • 1918年(大正7年)5月16日 - 新木造校舎竣工。
  • 1923年(大正12年) - 開校50周年
  • 1936年(昭和11年) - 初代校旗制定[8]
  • 1943年(昭和18年) - 多摩地区へ疎開[9]
  • 1945年(昭和20年)5月24日 - 東京大空襲により校舎全焼する。
  • 1949年(昭和24年) - 新校舎竣工により仮校舎とした氷川小から戻る。
  • 1952年(昭和27年) - 第3校舎、講堂竣工[10]。校旗制定。
  • 1962年(昭和37年) - 鉄筋校舎落成。第1校舎、第3校舎は解体。講堂が残る。
  • 1973年(昭和48年)
    • 8月 - ピロティが一階に設置された。新体育館竣工[11]
    • x月 - 開校100年
  • 1991年(平成3年)
    • 8月13日 赤坂(旧)・檜町・氷川の3小学校統合が決定される(区条例47号)。
    • 9月27日 赤坂小学校(旧)と檜町小学校を統合、赤坂小学校児童が檜町小学校に通学する。
  • 1992年(平成4年)4月4日 - 区条例47号公布により閉校。120年の歴史に幕を下ろす。
  • 1993年(平成5年) - 檜町小学校、氷川小学校が併合し新・赤坂小学校発足。

学校周辺

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その他

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  • ウルトラQ 第6話「育てよ!カメ」では、TBSテレビ(当時:東京放送)の近くにあった旧檜町小学校(現在の赤坂小学校の地)を舞台にしている。校舎の外壁や内装が確認できる。
  • 港区立赤坂中学校と掛け橋で繋がっている。小中一貫校となった。

脚注

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  1. ^ 「港区赤坂と倶に」(PDF) 国際医療福祉大学 2018年4月4日
  2. ^ 読み方は「ひのきちょう」。
  3. ^ 港区立赤坂小学校 - 教育目標[1]
  4. ^ 東京都教育委員会「令和5年度 公立学校統計調査報告書」統計・調査、2023年10月26日、2023年10月31日閲覧
  5. ^ a b 港区立小・中学校通学区域一覧表(平成27年4月1日から適用) [2]
  6. ^ 赤坂小学校の120年 p.17
  7. ^ 赤坂小学校の120年 p.19
  8. ^ 赤坂小学校の120年 p.43
  9. ^ 赤坂小学校の120年 p.44
  10. ^ 赤坂小学校の120年 p.49
  11. ^ 赤坂小学校の120年 p.60

関連項目

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外部リンク

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