渡邉千真
渡邉 千真(わたなべ かずま、1986年8月10日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市)出身のプロサッカー選手[2]。東京都社会人サッカーリーグ・SHIBUYA CITY FC所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | カズマ[1] | |||||
カタカナ | ワタナベ カズマ | |||||
ラテン文字 | WATANABE Kazuma | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年8月10日(38歳) | |||||
出身地 | 長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市) | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | SHIBUYA CITY FC | |||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足[2] | |||||
ユース | ||||||
2002-2004 | 長崎県立国見高等学校 | |||||
2005-2008 | 早稲田大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2011 | 横浜F・マリノス | 88 | (28) | |||
2012-2014 | FC東京 | 86 | (26) | |||
2015-2018 | ヴィッセル神戸 | 114 | (34) | |||
2018-2020 | ガンバ大阪 | 63 | (11) | |||
2021-2022 | 横浜FC | 53 | (7) | |||
2023 | 松本山雅FC | 20 | (2) | |||
2024- | SHIBUYA CITY FC | |||||
代表歴 | ||||||
2004 | 日本 U-19 | |||||
2007 | 日本 U-22 | |||||
2010 | 日本 | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月31日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集プロ入り前
編集7歳[1](小学校2年生[3])の時に兄・大剛の影響で[4][5]サッカーを始め、2002年、国見高校に進学する。同校サッカー部では1学年上の平山相太、兵藤慎剛らと共に攻撃をリード[6]。2003年度のインターハイでは得点王に輝いた。さらに同年度の全国高校サッカー選手権を制覇[7]。当時は主に攻撃的MFを務めていたが、平山らが部を引退した3年時からはFWでプレー[8]。2004年度の高校サッカー選手権にはキャプテンとして出場し[3]、厳しいマークに晒される中でも正確なプレーで[9] ベスト4入り[7]。
3年時の秋には、翌年開催されるワールドユース・オランダ大会の予選を兼ねたAFCユース選手権2004のU-19日本代表として、高校サッカー部から唯一招集され、平山とポジションを争った[10]。準決勝・対韓国戦で1得点を挙げたが、ワールドユースメンバー選出は叶わなかった。
2005年、早稲田大学に進学。ア式蹴球部に入ると、1年時から出場を重ね、2年時からはレギュラーに定着し[11]、2006年、2007年と2年連続で関東大学サッカーリーグ得点王を獲得。関東大学リーグ戦では当時のリーグ記録となる通算62試合で37得点を挙げた[12]。大学サッカー界では「天才」「怪物」とも称され[4][5]、4年時には複数のJリーグクラブによる争奪戦となった[13][14][15]。
横浜F・マリノス
編集横浜F・マリノス監督の木村浩吉の「ポジションを空けて待っている」という口説き文句もあり、2009年、横浜FMへ入団[16]。兵藤とは高校・大学に続きプロでもチームメイトとなった。新人ながら背番号「9」を与えられ[7][注 1]開幕戦でスタメン起用されると前半3分に初得点を決める[注 2]。4月14日にはこの年のJリーグ新人選手の中では最速で[20] プロA契約を締結した[21]。チームの得点源として[22] 活躍し、城彰二以来、史上2人目となる新人でのリーグ戦二桁得点を達成。またJ1第32節神戸戦でシーズン13点目を挙げ[23]、城が記録した新人最多得点記録を更新した[24]。
同年12月21日、アジアカップ最終予選を戦うA代表に初招集され、翌年1月6日のイエメン戦で先発出場し、国際Aマッチ初出場を記録[25]。平山相太の得点をアシストし[26]ハットトリックをお膳立てした。
2010年に横浜FMの監督に就任した木村和司からは、攻守の切り替えや味方へのパスの要求を課題に挙げられ[27][28]、出場機会が徐々に減少。2010年にはチーム内での最多得点を挙げたものの[29]、目標としていた2年連続での二桁得点[30] には届かなかった。2011年のJ1第2節川崎戦では鬱憤を振り払う逆転ゴールを決め、ユニフォームを脱いで喜び警告を受けている[27]。
同年末には、神戸[31]浦和[32]、FC東京[2] など複数クラブから獲得の打診を受け、横浜FMとの契約更新を固辞[31]。
FC東京
編集2012年、FC東京へ完全移籍[33][34]。ポジション争いは厳しくJ1での出場機会は限定されたが[35]、自身初参加となったAFCチャンピオンズリーグではFWルーカスに代わって1トップでの先発出場を続け[36]、自らの得点でグループリーグ突破に貢献した[35][37]。苦手としてきたポストプレーに取り組みながらも[38] J1第12節鳥栖戦にて自身初となるJ1でのハットトリックを達成した[36][39]。
2013年は、新加入の李忠成らとの熾烈なポジション争いを制して[40] 開幕からレギュラーを確保。前線からの守備や[40]ポストプレーを向上させた[41] ことに加え、ポジショニングを高め[40]得点を量産。プレーの幅を広げて[42] ルーキーイヤー以来4年ぶりとなる2桁得点を記録し、J1第19節大分戦でリーグ戦自己最高となる14得点目を挙げた。しかしシーズン半ば以降は、スペースメイクに優れ、渡邉と好連携を築いていた東慶悟が[43] トップ下からサイドハーフへとポジションを移したことも重なって、得点ペースを落としたがリーグ通算で17得点をマークした。
2014年はチームの2トップと[44] 3トップの併用に伴いウイングにも配され、サイドから得点を狙った[45]。不振の続く中で[46]武藤嘉紀の台頭もあり[47]、第20節鳥栖戦で約1年ぶりの[48] リーグ戦ゴールを記録したものの、同年は出場・得点共にFC東京加入以来最小の数字を残してしまった。
ヴィッセル神戸
編集FC東京との契約を残すも[49]、2015年1月にヴィッセル神戸へ完全移籍[50][51]。1stステージはマルキーニョスとの併用でセンターフォワード中心に配されたものの、中々得点を挙げる事が出来ず不調に終わった[52]、2ndステージにレアンドロが加入して以降はポジションを1列下げての起用が続いたが[53]、10月には2nd第15節山形戦のハットトリック[54][55]を含め公式戦5試合で6得点[56] とチームにフィットし、自身3度目のリーグ戦二桁得点を記録。チームをJ1残留争いから救った[57][54]。同年のヤマザキナビスコカップでは、出場8試合で大会最多の7得点を挙げる活躍でチームを過去最高成績のベスト4にまで押し上げた。
2016年、監督のネルシーニョからチーム内での振る舞い、リーダーシップ、人間性などを評価され、自身初の主将に任命された[58]。同年度は中盤左サイドで年間を通して安定したプレーを見せ、2トップのレアンドロ、ペドロ・ジュニオールとともにゴールを量産。リーグ戦33試合出場12得点を挙げる活躍で2年連続の二桁得点を達成した。専門誌採点では通年平均点においてチーム最高を記録し[59]、クラブからも年間MVPとして表彰された[60]。
2017年シーズンはレアンドロが開幕戦で負傷・長期離脱することになったためFWとしてプレーする機会が多くなったが、シーズン初ゴールは第11節の鹿島アントラーズ戦まで待つこととなった。キャリアにおいては2009年以来8年ぶりに全試合に出場した(途中出場含む)。
ガンバ大阪
編集2018シーズンは、若手や新加入選手の活躍もあり、先発出場が21節終了時点で10試合にとどまっていた中、J1残留を目指すガンバ大阪からオファーが届く[61]。 当初、神戸側は渡邉の放出に消極的だったが、要求した長沢駿の期限付き移籍をG大阪が受け入れることで進展し[62]、8月13日にG大阪に完全移籍する事が発表された[63]。初戦となったベガルタ仙台戦ではスタメンで出場し、移籍後初ゴールも挙げた[64]。また、第34節・柏レイソル戦でJ1リーグ300試合出場を達成した[65]。G大阪ではリーグ戦13試合3得点の成績でチームの残留に貢献した。
2019年は前半戦は8試合の出場にとどまり無得点であったが、後半戦で出場時間を増加させ3得点を記録した。
2020年10月7日、第10節・サガン鳥栖戦にて史上15人目となるJ1通算100得点を達成した[66]。
横浜FC
編集2021年、横浜FCへ完全移籍[67]。シーズンを通してチームの主力として30試合4得点の成績を収めるも、チームはJ2降格を喫する。
2022年もチームに残留し、自身初のJ2を戦うシーズンとなる。リーグ戦22試合に出場し3得点を記録し、チームはJ2・2位で1年でJ1復帰を果たすも、自身はこの年限りで契約を満了となり退団。
松本山雅FC
編集2023シーズンより松本山雅FCに加入。2023年12月10日、契約満了による退団が発表された[68]。
SHIBUYA CITY FC
編集2024シーズンより東京都社会人サッカーリーグ1部のSHIBUYA CITY FCに加入[69]。
所属クラブ
編集- 1994年 - 1998年 国見FCジュニア (雲仙市立多比良小学校)[1]
- 1999年 - 2001年 雲仙市立国見中学校[1]
- 2002年 - 2004年 長崎県立国見高等学校
- 2005年 - 2008年 早稲田大学 (スポーツ科学部[4][5])
- 2009年 - 2011年 横浜F・マリノス
- 2012年 - 2014年 FC東京
- 2015年 - 2018年8月 ヴィッセル神戸
- 2018年8月 - 2020年 ガンバ大阪
- 2021年 - 2022年 横浜FC
- 2023年 松本山雅FC
- 2024年 - SHIBUYA CITY FC
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 国見高 | 24 | - | - | - | 3 | 0 | 3 | 0 | ||
2003 | 7 | - | - | 2 | 3 | 2 | 3 | ||||
2009 | 横浜FM | 9 | J1 | 34 | 13 | 8 | 4 | 3 | 4 | 45 | 21 |
2010 | 24 | 8 | 6 | 1 | 2 | 0 | 32 | 9 | |||
2011 | 30 | 7 | 5 | 2 | 5 | 1 | 40 | 10 | |||
2012 | FC東京 | 11 | 27 | 6 | 3 | 2 | 1 | 0 | 32 | 8 | |
2013 | 9 | 33 | 17 | 4 | 1 | 5 | 1 | 42 | 19 | ||
2014 | 26 | 3 | 4 | 0 | 3 | 1 | 33 | 4 | |||
2015 | 神戸 | 19 | 28 | 10 | 8 | 7 | 4 | 3 | 40 | 20 | |
2016 | 33 | 12 | 7 | 3 | 2 | 2 | 42 | 17 | |||
2017 | 34 | 8 | 7 | 0 | 5 | 4 | 46 | 12 | |||
2018 | 19 | 4 | 5 | 3 | 2 | 0 | 26 | 7 | |||
G大阪 | 39 | 12 | 3 | - | - | 12 | 3 | ||||
2019 | 18 | 3 | 7 | 0 | 1 | 0 | 25 | 3 | |||
2020 | 33 | 6 | 2 | 0 | 2 | 0 | 37 | 6 | |||
2021 | 横浜FC | 30 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 34 | 4 | ||
2022 | J2 | 23 | 3 | - | 1 | 0 | 24 | 3 | |||
2023 | 松本 | 49 | J3 | 20 | 2 | - | - | 20 | 2 | ||
通算 | 日本 | J1 | 381 | 104 | 70 | 23 | 35 | 16 | 486 | 143 | |
日本 | J2 | 23 | 3 | - | 1 | 0 | 24 | 3 | |||
日本 | J3 | 20 | 2 | - | - | 20 | 2 | ||||
日本 | 他 | - | - | 5 | 3 | 5 | 3 | ||||
総通算 | 424 | 109 | 70 | 23 | 41 | 19 | 535 | 151 |
その他の公式戦
- 2012年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2012 | FC東京 | 11 | 7 | 3 |
通算 | AFC | 7 | 3 |
- 2009年3月7日 - Jリーグ初出場・初得点 - J1第1節 vsサンフレッチェ広島(日産スタジアム)
- 2012年6月28日 - Jリーグ100試合出場 - J1第9節 vs柏レイソル(国立霞ヶ丘競技場陸上競技場)
- 2015年10月24日 - Jリーグ200試合出場 - J1 2nd第15節 vsモンテディオ山形(ノエビアスタジアム神戸)
- 2018年12月1日 - Jリーグ300試合出場 - J1第34節 vs柏レイソル(三協フロンテア柏スタジアム)
- 2020年10月7日 - J1通算100得点 - J1第10節 vsサガン鳥栖(駅前不動産スタジアム)
- ハットトリック
- 2009年10月11日 - 第89回天皇杯2回戦 vsV・ファーレン長崎 (長崎県立総合運動公園陸上競技場[70]
- 2012年5月20日 - J1第12節 vsサガン鳥栖 (味の素スタジアム)[39]
- 2015年10月24日 - J1 2nd第15節 vsモンテディオ山形 (ノエビアスタジアム神戸)[55]
代表歴
編集- 国際Aマッチ初出場 - 2010年1月6日 AFCアジアカップ2011最終予選 vsイエメン代表(アリー・ムフシン・スタジアム)
出場大会など
編集- U-19サッカー日本代表
- 2004年 SBSカップ 国際ユースサッカー(準優勝)、AFCユース選手権2004(3位)
- U-22サッカー日本代表
- 2007年 カタール国際親善トーナメント(グループリーグ敗退)
- ユニバーシアード日本代表
- サッカー日本代表
試合数
編集- 国際Aマッチ 1試合 0得点 (2010年)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2010 | 1 | 0 |
通算 | 1 | 0 |
出場
編集No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2010年1月5日 | サヌア | アリー・ムフセン・スタジアム | イエメン | ○3-2 | 岡田武史 | AFCアジアカップ2011予選 |
タイトル
編集クラブ
編集- 国見高校
- 国際ユースサッカーin新潟:1回(2002年)
- 高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会:1回(2002年)
- 長崎県サッカー選手権大会:1回(2003年)
- インターハイ :2回(2003年、2004年)
- 全国高等学校サッカー選手権大会:1回(2003年)
- 早稲田大学
- 全日本大学サッカー選手権大会:1回(2007年)
個人
編集脚注
編集- 注釈
- 出典
- ^ a b c d 選手名鑑 - ウェイバックマシン(2011年10月20日アーカイブ分) 横浜F・マリノス
- ^ a b c FC東京が渡辺千真獲り 平山と国見コンビ復活だ スポーツニッポン (2011年11月29日)
- ^ a b c 金の卵を探せ 第5回 渡辺千真[国見3年] 日刊スポーツ
- ^ a b c 2年連続得点王の天才ストライカー 横浜F・マリノス入団内定 早稲田ウィークリー (2008年10月9日)
- ^ a b c 2年連続得点王の天才ストライカー 横浜F・マリノス入団内定 ヨミウリ・オンライン (2008年10月9日)
- ^ 2004年の「夏休み」に輝いた原石たち (1/2) スポーツナビ (2004年08月27日)
- ^ a b c 09年J1ニューフェイスの決意(第1回、横浜FM・渡邉千真) ゲキサカ (2009年1月17日)
- ^ Vol.7 ワセダの頼れる得点源・渡邉千真 - ウェイバックマシン(2010年3月8日アーカイブ分) wasedasports.com (2007年7月21日)
- ^ 『高校サッカー 伝説の名勝負&プレイヤー列伝』カンゼン、2005年、174頁。
- ^ AFCユース選手権 ベトナム戦前日 大熊清監督コメント スポーツナビ (2004年9月29日)
- ^ 渡邉のF・マリノス入りが決定! - ウェイバックマシン(2013年4月6日アーカイブ分) wasedasports.com (2008年8月26日)
- ^ 通算得点ランキング (2005年-2008年) 関東大学サッカー連盟 (2012年11月25日)
- ^ (渡邉千真) 大学ナンバー1FW渡邉争奪戦が熾烈に - ウェイバックマシン(2013年12月2日アーカイブ分) ゲキサカ (2008年8月13日)
- ^ 京都が元U19FWの渡辺弟獲りへ - ウェイバックマシン(2008年6月23日アーカイブ分) 日刊スポーツ (2008年2月3日)
- ^ “釜本2世”早大FW渡辺、横浜M入り! - ウェイバックマシン(2008年9月5日アーカイブ分) スポーツ報知 (2008年8月23日)
- ^ 2009年度、新加入選手決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2009年3月21日アーカイブ分) 横浜F・マリノス (2008年8月24日)
- ^ 横浜ルーキー渡辺に重圧エースの「9」 日刊スポーツ (2009年1月18日)
- ^ 2009Jリーグ ディビジョン1 第1節 Jリーグ
- ^ 横浜渡辺が城以来新人シーズン1号 / J1 日刊スポーツ (2009年3月8日)
- ^ 横浜FW渡辺がルーキー一番乗りでA契約 日刊スポーツ (2009年4月14日)
- ^ 渡邉千真選手 A契約締結のお知らせ - ウェイバックマシン(2009年4月16日アーカイブ分) 横浜F・マリノス (2009年4月14日)
- ^ 選手出場記録 1/2 Jリーグ (2009年12月5日)
- ^ 選手出場記録 2/2 Jリーグ (2009年12月5日)
- ^ 渡邉がJ1のルーキー最多得点記録を更新 Jリーグ (2009年11月21日)
- ^ MATCH SUMMARY (PDF) samuraiblue.jp
- ^ 千真アシストも「平山先輩に持っていかれた」 スポーツニッポン (2010年1月7日)
- ^ a b 警告覚悟のパフォーマンス、千真がモヤモヤ振り払う2戦連発弾 ゲキサカ (2011年7月3日)
- ^ 横浜FW渡辺がハット、先発復帰アピール 日刊スポーツ (2010年8月31日)
- ^ 選手出場記録 1/2 Jリーグ (2010年12月4日)
- ^ 【横浜】千真「2ケタ得点で終わりたい」 日刊スポーツ (2010年12月2日)
- ^ a b 横浜FW渡辺千真が来季J1の東京へ移籍 日刊スポーツ (2011年12月31日)
- ^ 浦和、横浜M・渡辺千に正式オファー デイリースポーツ (2011年12月14日)
- ^ 渡邉千真選手 FC東京へ完全移籍のお知らせ 横浜F・マリノス (2012年1月6日)
- ^ 渡邉千真選手 完全移籍加入決定のお知らせ FC東京 (2012年1月6日)
- ^ a b FC東京4発で決勝T進出! 渡辺2発 デイリースポーツ (2012年5月3日)
- ^ a b ハットトリックのF東京・渡邉「今日は持っていた」 ゲキサカ (2012年5月20日)
- ^ 千真2発! FC東京 ACL1次リーグ突破決定 スポーツニッポン (2012年5月3日)
- ^ FC東京・渡邉「やるしかない」、危機感を糧に得点狙う (cache) スポーツナビ 2012.07.28
- ^ a b 2012Jリーグディビジョン1 第12節 渡邉 千真 選手(F東京)ハットトリック達成 Jリーグ (2012年5月20日)
- ^ a b c ポポ監督も絶賛のFW渡邉「試合に出る喜び、幸せを感じている」 ゲキサカ (2013年4月28日)
- ^ [特別対談]長谷川アーリアジャスール×渡邉千真「真の強さを手に入れろ!」 サッカーキング (2013年5月7日)
- ^ 好調を維持するFC東京の渡邉千真「満足したらそこで終わり。もっと上を目指す」 サッカーキング (2013年9月18日)
- ^ 五輪で10番を背負った男が変身中! FC東京をリードする東慶悟の存在感。 Number (2013年3月22日)
- ^ FC東京 多摩川クラシコを前に。「2トップにしてノビノビした」(渡邉千真) blogola (2014年3月21日)
- ^ 渡辺千真が初のシュート特訓 東京中日スポーツ (2014年2月16日)
- ^ 千真どん欲 今季初ゴール決める 東京中日スポーツ (2014年5月24日)
- ^ 千真 2戦連続ゴール狙う ストライカー復調だ 東京中日スポーツ (2014年10月24日)
- ^ 鳥栖は監督交代後2連敗で首位陥落…F東京はクラブタイ記録の5戦連続無失点 ゲキサカ (2014年8月16日)
- ^ 東京FW渡辺千真に神戸獲得オファー 日刊スポーツ (2014年12月19日)
- ^ 渡邉千真選手 ヴィッセル神戸へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2015年1月7日)
- ^ FC東京よりFW渡邉千真選手 完全移籍加入決定のお知らせ ヴィッセル神戸 (2015年1月7日)
- ^ 神戸渡辺千真、移籍後初弾「いいボールくれた」 日刊スポーツ (2015年3月15日)
- ^ 神戸 宿敵打倒へ渡辺トップ下、森岡ボランチ濃厚 スポーツニッポン (2015年7月25日)
- ^ a b 【神戸】渡辺、ハット! 連敗5で止めて残留決めた スポーツ報知 (2015年10月24日)
- ^ a b 2015明治安田生命J1リーグ 2ndステージ 第15節 渡邉千真 選手(神戸)ハットトリック達成 Jリーグ (2015年10月24日)
- ^ 【2015総括】神戸編 大きな失望感は期待値の高さから。大量失点も多かった守備面のテコ入れは急務だ! サッカーダイジェスト (2015年11月26日)
- ^ 『サッカーダイジェスト 2015Jリーグ総集編 (No.1347)』日本スポーツ企画出版社、2015年、53頁。
- ^ ヴィッセル神戸 ニュース/レポート:2016シーズン新主将決定のお知らせ ヴィッセル神戸 (2016年2月5日)
- ^ 『エル・ゴラッソ イヤーブック2016 (J1・J2リーグシーズンレビュー)』三栄書房、2016年、47頁。
- ^ 10/29(土)「2016ファイナルセレモニー」のレポート(会長・監督・主将コメント)を掲載 ヴィッセル神戸 (2016年10月29日)
- ^ 仰天トレードが成立!渡邉千真がG大阪へ完全移籍、長沢駿が神戸へレンタル サッカーダイジェスト 2018年8月13日
- ^ G大阪 神戸とFW交換で渡辺獲得、J2降格圏の救世主なるか スポニチ 2018年8月14日
- ^ 渡邉 千真選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪 2018年8月13日
- ^ G大阪、新加入渡辺弾も敵地逆転負け…最下位脱出も窮地脱せず サンスポ2018年8月20日
- ^ 2018明治安田生命J1リーグ 第34節 渡邉 千真 選手(G大阪)J1通算300試合出場達成 Jリーグ公式 2018年12月1日
- ^ “渡邉千真の史上15人目のJ1通算100ゴールでG大阪が5連勝!!鳥栖は反撃遅く連敗”. ゲキサカ. 講談社 (2020年10月7日). 2020年11月8日閲覧。
- ^ “FW 渡邉千真選手 ガンバ大阪より完全移籍加入のお知らせ”. 横浜FC (2021年1月4日). 2021年1月6日閲覧。
- ^ “渡邉千真選手 契約満了のお知らせ”. 松本山雅FC (2023年12月10日). 2023年12月21日閲覧。
- ^ “渡邉千真選手 加入のお知らせ”. SHIBUYA CITY FC (2024年2月9日). 2024年2月9日閲覧。
- ^ 第89回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 2回戦【33】公式記録 (PDF) 日本サッカー協会 (2009年10月11日)
- ^ ユニバーシアード冬季競技大会(2007 バンコク)日本代表選手団 入賞者一覧 日本オリンピック委員会
- ^ AFCがW杯予選予備登録メンバーリストを公表、宮市や中澤、闘莉王の名も ゲキサカ (2011年9月3日)
関連項目
編集外部リンク
編集- 渡邉千真 (@kazuma0810) - X(旧Twitter)
- 渡邉千真 (@kazumawatanabe_official) - Instagram
- 渡邉千真 - National-Football-Teams.com
- 渡邉千真 - Soccerway.com
- 渡邉千真 - FootballDatabase.eu
- 渡邉千真 - WorldFootball.net
- 渡邉千真 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 渡邉千真 - FIFA主催大会成績
- 渡邉千真 - J.League Data Siteによる選手データ
- 渡邉千真 - TheFinalBall.com
- 渡邉千真「選手の一言」ムービーダイアリー
- J1 9月度MIP受賞インタビュー 渡邉千真選手 (横浜FM) (archive) - J's GOAL (2009年10月31日)
- FC東京・渡邉千真「自分に足りないものを常に意識することが大切」 - サカイク (2013年7月29日)
- FC東京・渡邉千真「自分の個性を活かし、夢は日本代表でW杯出場」 - サカイク (2013年7月30日)
- FC東京 FW渡邉千真選手インタビュー「チャンスを活かしたい」 - ゲキサカ (2013年9月5日)
- 渡邉千真 - ESPN FC
- プロフィール (2014年) - ウェイバックマシン(2014年8月3日アーカイブ分) - FC東京