渡辺純忠
渡辺 純忠(渡邊 純忠[1][2][3][注 1]、わたなべ すみただ、1945年(昭和20年)1月4日[4] - )は、日本の政治家。山口県山口市長(4期)を務めた。
渡辺 純忠 わたなべ すみただ | |
---|---|
生年月日 | 1945年1月4日(79歳) |
出生地 | 日本 山口県山口市 |
出身校 | 長崎大学教育学部 |
前職 | 地方公務員(山口県) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 旭日小綬章 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2005年 - 2021年11月12日 |
概要
編集山口県徳地町生まれ。山口県立山口高等学校、長崎大学教育学部卒業。1968年、長崎大を卒業し山口県庁に就職した。山口県では商工労働部、総務部、企画部、教育庁、環境生活部等に勤務し、2001年に山口県水産部長に就任。翌2002年には山口市へ出向し、山口市長・合志栄一の下で山口市助役に起用された。
2005年、市町村合併による新・山口市の発足に伴う山口市長選挙に、山口市・防府市の合併を掲げて立候補。旧・山口市長の合志栄一を破り初当選を果たした。2009年、元徳地町長の伊藤青波らを破り、山口市長に再選。
2013年の山口市長選挙では自民・民主・公明3党の推薦を受け、新人2候補を破り3選した[5]。
2017年の山口市長選挙に4選。なお、各市長選には無所属で立候補しているものの、自民党の党員である[6]。
年譜
編集- 1945年(昭和20年) - 山口県徳地町八坂で出生
- 1960年(昭和35年) - 徳地町立八坂中学校卒業
- 1963年(昭和38年) - 山口県立山口高等学校卒業
- 1968年(昭和43年) - 長崎大学教育学部卒業、山口県庁入庁
- 1978年(昭和53年) - 山口県商工労働部通商観光課運輸係長
- 1980年(昭和55年) - 山口県総務部地方課振興係長
- 1983年(昭和58年) - 山口県企画部企画課長補佐
- 1988年(昭和63年) - 山口県企画部企画課主幹
- 1990年(平成2年) - 山口県教育庁社会教育課長
- 1992年(平成4年) - 山口県企画部地域振興課長
- 1993年(平成5年) - 山口県総務部地方課長
- 1995年(平成7年) - 山口県総務部参事兼地方課長兼国際交流室長
- 1996年(平成8年) - 山口県総務部参事兼地方課長
- 1997年(平成9年) - 山口県環境生活部参事兼廃棄物対策室長
- 1998年(平成10年) - 山口県環境生活部環境審議監
- 2000年(平成12年) - 山口県環境生活部次長
- 2001年(平成13年) - 山口県水産部長、山口県栽培漁業公社理事長
- 2002年(平成14年) - 山口市助役(市長は合志栄一)
- 2005年(平成17年) - 山口市長に無所属で立候補し、初当選
- 2009年(平成21年) - 山口市長再選
- 2013年(平成25年) - 山口市長3選
- 2015年(平成27年) - 山口県市長会会長
- 2017年(平成29年) - 中国市長会会長、山口市長4選
- 2018年(平成30年) - スペイン・シンポジウム実行委員会会長
- 2021年(令和3年) - 山口市長退任
脚注
編集注釈
編集- ^ 苗字の「邊」の表記は、正式にはしんにょう(辶)の点が1つのものを用いる。
出典
編集- ^ a b 『令和6年春の受勲 勲章受章者名簿』(PDF)(プレスリリース)総務省、2024年4月29日、43頁 。2024年5月2日閲覧。
- ^ 確定投票状況 平成17年11月13日執行 山口市長選挙
- ^ 確定投票状況 平成25年10月27日執行 山口市長選举
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、351頁。
- ^ “山口市長選、渡辺純忠氏が3選”. 読売新聞. (2013年10月27日)
- ^ “山口県内の首長、全て自民党員 入党相次ぐ「保守王国」 首長「仕事進めやすい」/野党「多様さ反映せず”. 中國新聞. (2018年12月26日) 2023年8月1日閲覧。
- ^ “山口市長選、渡辺純忠市長が不出馬表明 後継に副市長か「懸案整い区切り」”. 中国新聞. (2021年9月13日) 2021年9月20日閲覧。
- ^ “山口市の渡辺純忠市長、今期限りで引退表明「バトンタッチ決意」”. 毎日新聞. (2021年9月13日) 2021年9月20日閲覧。
- ^ 『官報』号外第106号、令和6年4月30日
外部リンク
編集公職 | ||
---|---|---|
先代 合志栄一 |
山口県山口市長 2005年 - 2021年 |
次代 伊藤和貴 |