渡辺伊綱
渡辺 伊綱(わたなべ これつな)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。和泉国伯太藩の第4代藩主。伯太藩渡辺家6代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦7年(1757年) |
死没 | 文政8年2月1日(1825年3月20日)? |
改名 | 亀松/源一郎(幼名)→伊綱 |
官位 | 従五位下、中務大輔、丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 和泉伯太藩主 |
氏族 | 三河渡辺氏 |
父母 | 父:渡辺信綱 |
兄弟 | 源蔵、伊綱、豪綱、俊綱、松平信男、松平直義正室、中根正寧正室、松平正愛正室、渡辺房綱正室 |
妻 | 正室:山口弘長の娘 |
子 | 養子:豪綱(実弟) |
略歴
編集宝暦7年(1757年)、第3代藩主・渡辺信綱の次男として誕生した。兄に源蔵がいたが、早世したために嫡子となる。安永元年(1772年)、父の死去により跡を継いだ。
天明3年(1783年)4月18日、弟の豪綱に家督を譲って隠居した。その直後に死去したとも、文政8年(1825年)2月1日に死去したとも言われている。