渡海元三郎
日本の政治家 (1915-1985)
渡海 元三郎(とかい もとさぶろう、1915年3月13日 - 1985年5月2日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(10期)、自治大臣、建設大臣などを歴任。渡海晴平の子。
渡海 元三郎 とかい もとさぶろう | |
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生年月日 | 1915年3月13日 |
出生地 | 日本 兵庫県 |
没年月日 | 1985年5月2日(70歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部 |
所属政党 |
(日本民主党 →) 自由民主党(福田派) |
称号 | 勲一等旭日大綬章 |
親族 | 渡海紀三朗(長男) |
第42代 建設大臣 | |
内閣 | 第1次大平内閣 |
在任期間 | 1978年12月7日 - 1979年11月9日 |
内閣 | 第3次佐藤内閣 |
在任期間 | 1971年7月5日 - 1972年7月7日 |
選挙区 | 旧兵庫3区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1955年2月28日 - 1983年11月28日 |
来歴・人物
編集兵庫県出身[2]。姫路高校文科乙類[3]を経て、1939年京都帝国大学法学部卒[2]。卒業後はブリヂストンタイヤ、川崎重工に勤務し[2]、その後地元で鋳造業を始める[2]。
曽根町青年団長、印南郡連合青年団長、曽根町長、兵庫県議(同志に後の参議院議員中野文門など)を経て[2]、1955年、推されて第27回衆議院議員総選挙に兵庫3区から日本民主党公認で出馬し初当選(当選同期に愛知揆一・田村元・椎名悦三郎・唐沢俊樹・高村坂彦・丹羽兵助など)。以後連続当選10回。保守合同による自由民主党発足後は岸派→福田派に所属し、建設大臣・自治大臣・北海道開発庁長官、自由民主党幹事長代理などの要職を歴任した。
1980年5月16日の衆議院本会議における大平内閣への内閣不信任決議案採決においては他の福田派議員同様欠席した(ハプニング解散)。
1983年、第37回衆議院議員総選挙で落選し、1985年5月2日死去。享年70。
文部科学大臣(第9代)、自由民主党政務調査会長(第62代)を勤めた渡海紀三朗は長男。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
議会 | ||
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先代 塚原俊郎 塚原俊郎 |
衆議院議院運営委員長 1970年 - 1971年 1966年 |
次代 田沢吉郎 坪川信三 |
先代 久野忠治 |
衆議院文教委員長 1965年 - 1966年 |
次代 八田貞義 |
公職 | ||
先代 櫻内義雄 |
建設大臣 第42代:1978年 - 1979年 |
次代 渡辺栄一 |
先代 秋田大助 |
自治大臣 第17代:1971年 - 1972年 |
次代 福田一 |
先代 西田信一 |
北海道開発庁長官 第32代:1971年 - 1972年 |
次代 福田一 |