渋谷在明

日本の陸軍軍人

渋谷 在明(しぶや ざいめい、旧字体澁谷 在明󠄁1856年7月15日安政3年6月14日) - 1923年12月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

渋谷在明

経歴

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和歌山県出身。和歌山藩士の家に江戸で生まれる。1878年(明治11年)12月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業。翌年2月、騎兵少尉任官。1886年(明治19年)12月、陸軍大学校(2期)を優等で卒業。参謀本部第2局に配属。1889年(明治22年)11月から1891年(明治24年)11月まで東宮武官を務めた。日清戦争末に近衛騎兵連隊大隊長として台湾に出征(乙未戦争)。

1895年(明治28年)1月、近衛騎兵連隊長に就任し、1897年(明治30年)10月、騎兵大佐に昇進。1900年(明治33年)4月、騎兵第15連隊長に転じた。1901年(明治34年)2月、陸軍騎兵実施学校長に異動。同年11月、陸軍少将に進級し騎兵第1旅団長に着任。1903年(明治36年)4月、騎兵監となる。1904年(明治37年)2月、第1軍兵站監に発令され日露戦争に出征。1906年(明治39年)2月、輜重兵監に就任し、1908年(明治41年)12月、陸軍中将に進んだ。

1914年(大正3年)5月に待命となり、同年8月、予備役編入された。1919年4月1日、後備役となる[1]

1916年(大正5年)1月、宮内省主馬頭となり、1921年(大正10年)10月から宮中顧問官を務めた。大正12年12月14日薨去。墓所は千駄ヶ谷仙寿院

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 『官報』第2014号、大正8年4月23日。
  2. ^ 『官報』第1033号「叙任」1886年12月8日。
  3. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  4. ^ 『官報』第3521号「叙任及辞令」1895年3月29日。
  5. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  6. ^ 『官報』第5587号「叙任及辞令」1902年2月21日。
  7. ^ 『官報』第7140号「叙任及辞令」1907年4月22日。
  8. ^ 『官報』第627号「叙任及辞令」1914年9月2日。
  9. ^ 『官報』第1948号「叙任及辞令」1889年12月24日。
  10. ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
  11. ^ 『官報』第3741号「叙任及辞令」1895年12月16日。
  12. ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
  13. ^ 『官報』第5824号「叙任及辞令」1902年12月1日。
  14. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  15. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  16. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  17. ^ 『官報』第1620号「叙任及辞令」1917年12月25日。
  18. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 墨堤隠士『陸海将校の書生時代』大学館、1904年、84 - 87頁。
公職
先代
藤波言忠
  主馬
1916年 - 1921年
次代
伊藤博邦
軍職
先代
秋山好古
  陸軍騎兵実施学校長
  陸軍獣医学校長

1901年
次代
河野政次郎