海野游翁
江戸時代後期の国学者、歌人
海野 遊翁(うんの ゆうおう、寛政6年11月14日〈1794年12月6日〉 - 嘉永元年11月11日〈1848年12月6日〉)は、江戸時代後期の国学者、歌人。松江藩儒、幕臣。名は幸典(ゆきのり)、通称源兵衛頼致。号は柳園または遊翁。
人物情報 | |
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別名 |
通称:源兵衛頼致 号:柳園、遊翁 |
生誕 |
幸典 寛政6年11月14日(1794年12月6日 日本・江戸 |
死没 |
嘉永元年11月11日(1848年12月6日(54歳没)) 日本・江戸 |
国籍 | 日本 |
学問 | |
時代 | 江戸時代後期 |
研究分野 | 国学 |
影響を受けた人物 |
小沢蘆庵 前波黙軒 |
生涯
編集東信濃海野荘の豪族滋野姓海野氏流。真田十勇士の一人海野六郎の末裔とされる。
寛政6年(1794年)11月14日江戸生まれ。歌は小沢蘆庵に師事し、その門人前波黙軒に学ぶ。
天保6年(1835年)に隠居。全国規模の和歌結社を作り上げ、結社の同人誌ともいうべき『現存歌選』を編集した[1]。
嘉永元年(1848年)11月11日死去。著作に「天言活用図」「遊翁詠草」など。
子孫
編集脚注
編集- ^ 田中康二 (2010), pp. 497–512.
- ^ 『多賀郡郷土史』 賢美閣、1977年12月3日発行、295頁
参考文献
編集- 田中康二『江戸派の研究』汲古書院、2010年2月。ISBN 9784762935732。