大阪府立大学工業短期大学部
(浪速大学工業短期大学部から転送)
大阪府立大学工業短期大学部(おおさかふりつだいがくこうぎょうたんきだいがくぶ、英語: Technical Junior College University of Osaka Prefecture[2])は、大阪府大阪市生野区勝山南3-1-4に本部を置いていた日本の公立大学である。1950年に設置され、1983年に廃止された。大学の略称は工短[3]。学生募集は1980年度まで。かつての第一部は現在、大阪公立大学工業高等専門学校となっているが、第二部は継承されずに1983年3月31日をもって廃止された。
大阪府立大学工業短期大学部 | |
---|---|
大学設置 | 1950年 |
創立 | 1949年 |
廃止 | 1983年 |
学校種別 | 公立 |
設置者 | 大阪府 |
本部所在地 | 大阪府大阪市生野区勝山南3-1-4 |
キャンパス |
生野キャンパス 寝屋川キャンパス 淀川キャンパス |
学部 |
機械科 第一部[1] 第二部 電気科 第一部[1] 第二部 溶接科 第一部[1] 第二部 |
概要
編集大学全体
編集- 大阪府立大学工業短期大学部は大阪府大阪市生野区内にあった日本の公立短期大学。大阪府により1950年に浪速大学工学部別科を発展改組して浪速大学短期大学部として設置された。当初は、寝屋川・淀川に各キャンパスを擁していたが、後に生野キャンパスに統合・移転された。当初は昼間部・夜間部に同じ3学科を擁していたが、最終的には夜間部3学科となる。
教育および研究
編集- 大阪府立大学工業短期大学部は科学技術と地域産業に寄与する中堅技術者の育成に力をいれていた。廃止になるまで勤労学生の教育に力をいれていた。I部は現在の大阪公立大学工業高等専門学校における教育の起源ともなっている。
学風および特色
編集- 大阪府立大学工業短期大学部は科学技術と地域産業に寄与する中堅技術者の育成をねらいに設置された。
- 大阪府立淀川工業(現:「工科」)高等学校やのちに桃谷高等学校と共同でキャンパスを使用するなどの経営を行っていた。
沿革
編集基礎データ
編集所在地
編集教育および研究
編集組織
編集学科
編集- 機械科第二部
- 電気科第二部
- 溶接科第二部
学科の変遷
編集専攻科
編集- なし
別科
編集- なし
取得資格について
編集年度別学生数
編集年度 | 機械科[8] | 電気科[8] | 溶接科[8] | 参照および備考 |
---|---|---|---|---|
1954年 | 第一部 170(0) 第二部 124(0) |
第一部 175(1) 第二部 126(0) |
第一部 49(0) 第二部 58(0) |
[9] |
1955年~1957年 | ? | ? | ? | [10] |
1958年 | 第一部 155(0) 第二部 119(0) |
第一部 158(1) 第二部 122(0) |
第一部 39(0) 第二部 53(0) |
[11] |
1959年 | 第一部 166(0) 第二部 128(0) |
第一部 154(1) 第二部 128(0) |
第一部 43(0) 第二部 57(0) |
[12] |
1960年 | 第一部 173(0) 第二部 134(0) |
第一部 154(0) 第二部 125(0) |
第一部 46(0) 第二部 54(0) |
[13] |
1961年 | 第一部177(0) 第二部140(1) |
第一部152(0 第二部132(0) |
第一部53(0) 第二部(0) |
[14] |
1962年 | 第一部 169(0) 第二部 129(0) |
第一部 156(1) 第二部 131(0) |
第一部 46(0) 第二部 52(0) |
[15] |
1963年 | 第一部 81(0) 第二部 131(0) |
第一部 75(1) 第二部 143(0) |
第一部 19(0) 第二部 58(0) |
[16] |
1964年 | 132(0)[17] | 159(0)[17] | 65(0)[17] | [18] |
1965年 | 137(0) | 155(0) | 65(0) | [19] |
1966年 | 156(0) | 152(0) | 65(0) | [20] |
1967年 | 151(0) | 156(0) | 67(0) | [21] |
1968年 | 151(0) | 164(0) | 73(0) | [22] |
1969年 | 151(0) | 164(0) | 73(0) | [23] |
1970年 | 168(1) | 163(0) | 78(0) | [24] |
1971年 | 172(1) | 173(1) | 74(0) | [25] |
1972年 | 164(1) | 169(1) | 74(0) | [26] |
1973年 | 156(0) | 168(1) | 85(0) | [27] |
1974年 | 156(0) | 168(1) | 85(0) | [28] |
1975年 | 166(0) | 178(1) | 80(0) | [29] |
1976年 | 181(0) | 191(1) | 79(0) | [30] |
1977年 | 167(0) | 181(2) | 76(0) | [31] |
1978年 | 190(0) | 184(1) | 77(0) | [32] |
1979年 | 163(0) | 179(1) | 65(1) | [33] |
1980年 | 118(0) | 143(1) | 46(2) | [34] |
1981年 | 61(0)[35] | 80(1)[35] | 22(1)[35] | [36] |
1982年 | 19(0) | 37(1) | 8(0) | [37] |
研究
編集大学関係者一覧
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- 歴代学長
出身者
編集施設
編集キャンパス
編集生野キャンパス
編集- 使用専攻科:なし
- 使用附属施設:なし
- 使用学科:機械科II部・電気科II部・溶接科II部
寝屋川キャンパス
編集- 使用学科:機械科・電気科・溶接科各第一部
- 使用専攻科:なし
- 使用附属施設:なし
- 設備:本館・第二本館・第三本館・実習工場・寄宿舎・運動場などがあった。
淀川キャンパス
編集- 使用学科:機械科・電気科・溶接科各第二部
- 使用専攻科:なし
- 使用附属施設:なし
- 設備:当時、大阪府立淀川工業高等学校(現:淀川工科高等学校)とキャンパスを共同使用していた。
学生食堂
編集- 大阪府立大学工業短期大学部の学生食堂(学食)は、当初構内中央部にあった学生集会室の一部を充てており、面積はおよそ10坪程度とやや狭隘であった。その後、利用する学生が増えたことにより、1955年より寝屋川寮のボイラー室の一部およそ40坪を改造して新築している。発足当時は、パンや麺類の販売が主なものとなっていたが、年を経るとともに米飯類も出されるようになっている[40]。
寮
編集対外関係
編集系列校
編集卒業後の進路について
編集就職について
編集編入学・進学実績
編集- 大阪府立大学工学部をはじめ理工学系の大学等に進学した人もいたものとみられる。ほか京都工芸繊維大学への編入者もいた。
参考文献
編集- 『全国学校総覧』昭和30年度版~
- 『全国短期大学一覧』1950年度版~1985年度版[42]
- 文部省大学学術局編『教員養成課程認定大学短期大学一覧』
- 全国高等学校長協会編『教員養成課程認定大学・短期大学等総覧』(第一法規出版)
- 『全国公立短期大学協会三十年誌』(全国公立短期大学協会。1980年)
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(財団法人文教協会)昭和49年度版~
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)1970年度版~1981年度版
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)昭和40年度版~
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)1971年度用~
- 『大阪府立大学十年史』(大阪府立大学十年史編集委員会編)
- 『大阪府立大学要覧』
脚注
編集- ^ a b c d e f 学生募集は1962年度が最終となっている。以後は大阪府立工業高等専門学校(現大阪公立大学工業高等専門学校)に移行。
- ^ https://cir.nii.ac.jp/crid/1580854177439657603より
- ^ 『工短 閉部記念誌-大阪府立大学工業短期大学部第一部閉部記念誌-』より
- ^ 現在は、大阪府立桃谷高等学校となっている。
- ^ 現在は大阪公立大学工業高等専門学校
- ^ 現在は大阪府立淀川工科高等学校
- ^ 『教員養成課程認定大学短期大学一覧』(文部省大学学術局編)49ページ「浪速大学工業短期大学部」の欄より
- ^ a b c ()の数字は女子内数を意味する。
- ^ 昭和30年度版『全国学校総覧』1371頁(以下、『総覧』と略する。)
- ^ この年度における『総覧』が存在しないため。
- ^ 昭和34年度版『総覧』15頁
- ^ 昭和35年度版『総覧』15頁
- ^ 昭和36年度版『総覧』19頁
- ^ 昭和37年度版『総覧』19頁
- ^ 昭和38年度版『総覧』22頁
- ^ 昭和39年度版『総覧』23頁
- ^ a b c 1964年度以降は、第二部のみ。
- ^ 昭和40年度版『総覧』23頁より
- ^ 昭和41年度版『総覧』25頁
- ^ 昭和42度版『総覧』27頁
- ^ 昭和43年度版『総覧』27頁
- ^ 昭和44年度版『総覧』29頁
- ^ 昭和45年度版『総覧』29頁
- ^ 昭和46年度版『総覧』29頁
- ^ 昭和47年度版『総覧』29頁
- ^ 昭和48年度版『総覧』30頁
- ^ 昭和49年度版『総覧』31頁
- ^ 昭和50年度版『総覧』33頁
- ^ 昭和51年度版『総覧』35頁
- ^ 昭和52年度版『総覧』35頁
- ^ 昭和53年度版『総覧』35頁
- ^ 昭和54年度版『総覧』36頁
- ^ 昭和55年度版『総覧』36頁
- ^ 昭和56年度版『総覧』38頁
- ^ a b c この年度以降、募集停止。
- ^ 昭和57年度版『総覧』39頁
- ^ 昭和58年度版『総覧』40頁
- ^ 『工短 閉部記念誌-大阪府立大学工業短期大学部第一部閉部記念誌-』(1964年発行。大阪府立中央図書館ほか所蔵。大阪府立中央図書館所蔵資料参照。)の「大阪府立大学工業短期大学部同窓会名簿」36頁より
- ^ 『工短 閉部記念誌-大阪府立大学工業短期大学部第一部閉部記念誌-』より。
- ^ a b c 『大阪府立大学十年史』より
- ^ 『工短 閉部記念誌-大阪府立大学工業短期大学部第一部閉部記念誌-』の「大阪府立大学工業短期大学部同窓会名簿」参照。
- ^ 1979年度版以前は『短期大学一覧』