浅香 克孝(あさか こくこう、1856年11月6日安政3年10月9日[1])- 1914年大正3年)1月5日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員(6期)。

経歴

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武蔵国足立郡千住町東京府南足立郡千住町東京市足立区を経て現東京都足立区千住地域)に生まれる[1]。生家は豪農として知られた[1]。25歳にして東京府会議員に選出され、同常置委員、郡部会副議長を歴任する[1]

のち立憲改進党に入党し、1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では東京府第11区から出馬し当選[1]。以来第2回第3回第5回第6回第8回総選挙でも当選し衆議院議員を通算6期務めた[2]。議員在任中は憲政本党の幹部などを務めた[1]

脚注

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参考文献

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