浅野 長寔(あさの ながざね)は、江戸時代中期の大名通称は主鈴(しゅれい)。備後国三次藩の第5代(最後)の藩主。夭逝したため官位は受けていない。

 
浅野長寔
時代 江戸時代中期
生誕 正徳3年6月8日1713年7月29日
死没 享保5年5月21日1720年6月26日
別名 主鈴(通称)
官位 なし
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
備後三次藩
氏族 浅野氏
父母 浅野長澄
兄弟 長経長寔
なし
なし
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略歴

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第3代主・浅野長澄の4男として三次にて誕生。

享保3年(1718年)に父が死去すると兄・長経が家督を相続したが、享保4年(1719年4月23日に数え年11歳で没した。三次浅野家は無嗣絶家となり除封され、5月11日に所領は浅野本家の安芸広島藩に還付されたが、10月25日に弟・長寔の相続が認められ、三次藩は再興された。ところが長寔は翌年、享保5年(1720年)5月21日に数え年8歳で没したため、三次藩は再び廃藩となり広島藩に再還付され、以後再興されることはなかった。