浅見源司郎
浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日[注 1] - 2024年6月)は、日本テレビ放送網、アール・エフ・ラジオ日本(RFラジオ日本)アナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員[2]。東京都出身[3][注 2]。都立西高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業[注 3]。
あさみ げんしろう 浅見 源司郎 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 |
生年月日 | 1937年12月23日 |
没年月日 | 2024年6月??日 |
最終学歴 | 早稲田大学法学部 |
職歴 | 日本テレビ放送網⇒アール・エフ・ラジオ日本 |
活動期間 | 1962年 - 2024年 |
ジャンル | スポーツ |
担当番組・活動 | |
出演経歴 | 日本テレビ野球中継 |
来歴・人物
編集1962年(昭和37年)に早大を卒業[注 3]し、日本テレビへ入社[注 4]。日本テレビ時代には主としてプロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)戦を中心としたスポーツ放送を担当[注 5]。プロ野球では、1977年9月3日の巨人対ヤクルトスワローズ戦で、王貞治選手(巨人)が放った通算756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)[注 6]。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。
公式戦
- 1971年5月20日の巨人対ヤクルト戦(福井県営球場)での広野功の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン(相手は会田照夫)[注 7]。
- 1975年10月15日の巨人対広島東洋カープ戦(広島がセ・リーグ初優勝を決めた試合。対戦相手の巨人はこの年、球団史上初のリーグ最下位に終わる。この試合の最後の打者は柴田勲で結果はレフト・水谷実雄へのフライ。胴上げ投手は金城基泰)[注 8][注 9]。
- 1976年6月10日の巨人対阪神戦で張本勲が通算2500本安打達成(相手は上田卓三)[8]。
- 1981年4月5日の巨人対中日戦での原辰徳のプロ入り初本塁打(相手は小松辰雄)。
- 1983年10月22日の巨人対大洋戦での堀内恒夫の引退試合(自らの現役最終打席で、金沢次男投手より本塁打[9]を放ち花を添える。試合も巨人が勝利した)。
- 1984年5月5日の巨人対広島戦での山本浩二の通算2000本安打達成(相手は槙原寛己)。
- 1985年4月13日の巨人対大洋戦で、自身唯一となる巨人のシーズン開幕戦(開催が後楽園球場の場合のみ)の実況を担当した[要検証 ][注 10]。
- 1987年6月11日の巨人対中日戦(熊本・藤崎台球場)での宮下昌己がウォーレン・クロマティに与えたデッドボールをきっかけに起きた乱闘シーン。
- 1971年の日本シリーズ巨人対阪急第4戦(足立光宏から末次利光が満塁弾を放ちV7に王手をかけた試合)。
- 1981年の日本シリーズ巨人対日本ハム第5戦(西本聖が13安打を打たれながらも完封勝利。この試合でV9(1973年の9連覇)以来の日本一へ王手をかけた)。
- 1983年の日本シリーズ巨人対西武第3戦(9回裏2死からの4連打(篠塚利夫、原、レジー・スミス、中畑清)で逆転サヨナラ勝ち)。
- 1987年の日本シリーズの巨人対西武第5戦(後楽園球場最後のシリーズ)。
プロ野球以外にも、テニスのジミー・コナーズ対ビョルン・ボルグ戦[注 11]、NCAAアメリカンフットボール公式戦『ミラージュボウル』(三菱自動車がスポンサーの大会)の実況も担当した。スポーツ以外では、あさま山荘事件の中継実況を担当した[10]。
のちにチーフアナウンサー、アナウンス部次長、アナウンス部長、ネットワーク局管理部長を歴任[注 12]。
1993年(平成5年)にRFラジオ日本へ出向し、放送実施局付役員待遇・制作局長へ就任[注 13]。局長職の傍ら、早朝番組のキャスターを担当した。1996年より取締役スポーツ部長を務めた[注 14]。
出演番組
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 参考:
- ^ 参考:
- 東京と明記[1]。
- ^ a b 参考(学歴について):
- ^ 参考:
- ^ 主にスポーツアナウンサーを担当したことは、次の資料を参照[4]。
- ^ VTR収録により、放送[6]。のち、本人の印象に残る実況シーンとして「王の756号」と紹介[3]。
- ^ このときの解説は金田正一。
- ^ 中継の解説は別当薫(9回表にゲイル・ホプキンスの本塁打の際に「入ったでしょう」とコメントを残している)。広島のベンチサイドリポーターは加藤進(広島テレビアナウンサー)、優勝監督及び選手へのインタビューは赤木孝男、広島市内のリポートを脇田義信(広島テレビアナウンサー)が担当した。
- ^ 広島東洋カープの初優勝を伝えたことは、次の資料を参照[7]。
- ^ 本来は同年4月12日に行われる予定だったが、雨天中止となったため。ゲスト解説は長嶋茂雄、解説は青田昇、ゲストに松尾雄治(元新日鉄釜石ラグビー部選手兼監督。のちに日本テレビ「独占!スポーツ情報」でキャスターを務めた)だが、これも前日からのスライドで実現した形となる。
- ^ 1985年の雑誌記事より、本人の印象に残る実況シーンとして「第1回カントリーカップのコナーズ対ボルグ」との記載あり[3]。
- ^ 参考:
- 次の資料より、チーフアナウンサー、アナウンス部次長、ネットワーク局管理部長を歴任したことが明記[1]。
- 『月刊民放』1991年6月号(21巻6号通算240号)P10-19掲載記事「基本を身につけ、個性発揮を 各局アナウンス部長が語る局アナの条件」より、部長として取材を受けている。
- ^ 参考:
- 平成5年にアール・エフ・ラジオ日本の放送実施局付役員待遇・制作局長へ就任の旨が明記[1]。
- ^ 参考:
- 平成8年に取締役スポーツ部長へ就任の旨が明記[1]。
- ^ 参考(スポーツ中継の担当について):
- 1985年当時の雑誌記事より“「プロ野球」「アメリカン・フットボール」など担当”との記載あり[3]。
- ^ 参考(サントリーカップ・テニス中継の担当について):
- ^ 参考:
出典
編集- ^ a b c d e f g h 『日本新聞年鑑』1996年版P459
- ^ OBクラブ - 東京プロ野球記者OBクラブ公式サイトより、組織概要ページ。会員名簿も掲載。
- ^ a b c d e f 『週刊読売』1985年10月20日号P127掲載の名鑑
- ^ a b c 杉並稲門会 第3ブロック【清水・天沼・本天沼・南荻窪・荻窪】活動記録(杉並稲門会公式サイト) → “2016.10.08 10月8日(土)第3ブロック第2回「荻窪サロン」開催”を参照。浅見の講演について、プロフィールを含めて紹介。
- ^ 『実況!』P217-218
- ^ 東京プロ野球記者OBクラブ会報『談話室』2013年4月12日発行・第9号P5掲載「リレー随筆 カメラが追い続けたホームラン 王選手の660号から868号まで」(文:赤木孝男=元日本テレビ)
- ^ 『実況!』P223
- ^ 張本勲2500安打+王貞治祝砲(1976.6.10)(YouTube)-直後に次打者の王貞治が本塁打を放ち、張本の記録達成に花を添えた。[出典無効]
- ^ 1983 堀内恒夫引退試合ホームラン[出典無効]
- ^ 『実況!』P222
- ^ 東京プロ野球記者OBクラブ会報『談話室』2011年11月14日発行・第6号(同クラブ公式サイトで配信されたPDFファイル。インターネットアーカイブ2014年7月14日付保存キャッシュ)より、P8を参照。新会員の一人として明記。
- ^ “堀内恒夫『右目が見えなくなったけど』”. 堀内恒夫オフィシャルブログ「今日もどこかであくたろう」Powered by Ameba (2024年6月20日). 2024年10月23日閲覧。
- ^ 『ザ・テレビ欄』P134掲載1983年4月9日付「日本テレビ」番組表より、午後4:40 - 6:00“[S]開局30年記念番組「'83サントリーカップ」◇準決勝・第一試合「ビヨルン・ボルグ-ジョン・マッケンロー」”を参照。「[解]川延栄一」「実況=浅見アナ」の記述あり。 ※[S]…“■”に“S”、[解]…“□”に“解”。局名・放送時間・番組名は原資料に基づく。
- ^ 『ザ・テレビ欄』P135掲載1983年4月10日付「日本テレビ」番組表より、午後3:30 - 4:55“'83サントリーカップ・テニス〜決勝〜「ビヨルン・ボルグ対ジミー・コナーズ」”を参照。「[解]川延栄一 実況=浅見アナ」「(国立代々木競技場)」の記述あり。 ※[解]…“□”に“解”。局名・放送時間・番組名は原資料に基づく。
- ^ 池戸美香プロフィール - 劇団朋友公式サイトより
参考資料
編集- 『実況! 熱きことばの伴走者たち』(1994年3月発売・4月1日発行、日本テレビ放送網アナウンス部編著・創拓社発行)ISBN 9784871381772
- 『談話室』(東京プロ野球記者OBクラブ会報)バックナンバー - 国立国会図書館サーチの情報
- テレビ欄研究会編・著『ザ・テレビ欄』シリーズ(TOブックス)
- 『ザ・テレビ欄 1975〜1990』(2009年3月31日発行) ISBN 9784904376072 ※1975年から1990年に発行された『スポーツニッポン』『報知新聞』各紙東京版テレビ欄の一部が収録(奥付に「協力」として「株式会社スポーツニッポン新聞社」「株式会社報知新聞社」のクレジットあり)。
- 『ザ・テレビ欄0 1954〜1974』(2009年8月31日発行) ISBN 9784904376102 ※1954年から1974年の間に発行された報知新聞東京本社版テレビ欄の一部を掲載(奥付に「協力:株式会社報知新聞社」のクレジットあり)。