浅見敏彦 (陸軍軍人)
浅見 敏彦(あさみ としひこ、旧字体:淺見敏󠄀彥、1891年(明治24年)11月16日[1] - 1973年(昭和48年)8月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
浅見 敏彦 | |
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生誕 |
1891年11月16日 日本 山口県 |
死没 | 1973年8月5日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1890年(明治24年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍歩兵大佐進級と同時に中支那派遣軍司令部附となり[2]、日中戦争に出動[1]。1939年(昭和14年)9月に第11軍司令部附となり[2]、1940年(昭和15年)7月に歩兵第1連隊長(関東軍・第4軍・第1師団)に就任し[1][2]、孫呉に駐屯した[1]。
1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]、第24歩兵団長(第5軍・第24師団)に着任[1]。東安に駐屯して守備に任じた[1]。1944年(昭和19年)3月1日に留守第55師団兵務部長に転じ[1]、11月2日に独立歩兵第1旅団長(北支那方面軍・第43軍)に就任[1]。山東省莒県周辺の治安粛正に任じ、終戦を迎えた[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。