浅川一衛
浅川 一衛(あさかわ かずえ、1883年(明治16年)2月23日[1] - 1960年(昭和35年)10月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
浅川 一衛 | |
---|---|
生誕 |
1883年2月23日 日本 広島県 |
死没 | 1960年10月20日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1906年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1883年(明治16年)に広島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第29期卒業[1]。1930年(昭和5年)12月に工兵第1大隊長に就任し[2]、1931年(昭和6年)3月に陸軍工兵大佐に進級[2]。1932年(昭和7年)8月に電信第1連隊長に転じ[2]、1933年(昭和8年)3月に工兵監部部員となった[2]。
1935年(昭和10年)8月1日に陸軍少将進級と同時に工兵監部附となり[1][2]、1937年(昭和12年)3月に陸軍工兵学校長に就任した[1]。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍中将に進級し[2]、留守第8師団長に就任し[1]、1939年(昭和14年)8月1日に待命[1]、9月3日に予備役に編入された[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。