浅地正一
日本の実業家
浅地 正一(あさじ しょういち、1938年〈昭和13年〉2月25日 - )は、日本の実業家である。東京商工会議所顧問、浅地事務所代表。日本ビルサービス代表取締役社長、特別顧問を務めたほか、東京青年会議所理事長、逗子なぎさホテル社長、日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭等を歴任した。
あさじ しょういち 浅地 正一 | |
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生誕 |
1938年2月25日(86歳) 東京府東京市赤坂区 |
国籍 | 日本 |
子供 | 正吾 |
親 | 父・浅地庄太郎、母・静江 |
経歴
編集生い立ち
編集1938年(昭和13年)2月25日、東京赤坂に生まれる。1944年(昭和19年)東京都東調布第二国民学校入学。在学中に軽井沢へ疎開。後、暁星小学校を卒業。中学は慶應義塾普通部に、高校は慶應義塾高等学校に進学。中学ではテニス部主将を務め、高校ではゴルフ部主将を務める。その後、慶應義塾大学経済学部に進学。グリーンクラブ(現・体育会ゴルフ部)主将、関東学生ゴルフ連盟委員長と日本学生ゴルフ連盟委員長を務める。学生ゴルフへの貢献を認められ朝日新聞特別賞を受賞[1]。
年表
編集- 1960年(昭和35年) - 日本ビルサービス入社、取締役就任。
- 1973年(昭和48年) - 東京ビルメンテナンス協会理事
- 1975年(昭和50年) - 同社代表取締役社長就任、逗子なぎさホテル社長就任。東京青年会議所理事長。
- 1977年(昭和52年) - 全国ビルメンテナンス協会理事
- 1982年(昭和57年) - 東京商工会議所議員
- 1993年(平成5年) - 労働省中央労働基準審議会委員
- 1997年(平成9年) - 東京商工会議所労働委員長、日本商工会議所労働委員長
- 2000年(平成12年) - 慶應連合三田会2000年大会実行委員長
- 2001年(平成13年) - 東京商工会議所副会頭、厚生労働省労働政策審議会委員
- 2003年(平成15年) - 内閣府男女共同参画会議専門委員、日比谷公園100周年記念事業実行委員長
- 2005年(平成17年) - 日本ビルサービスの株式100%をビル代行に譲渡、同特別顧問に就任(2007年まで)。
栄典
編集関連書籍
編集- グローブシップ編『逗子なぎさホテル物語 ペーパーバック』知玄舎 2019年3月22日、ISBN 978-4907875916
著書・寄稿
編集- 浅地正一(監修)、岡田玉規(編著)『日本のビルメンテナンス産業創生の礎――浅地庄太郎伝』知玄舎、2023年2月3日。ISBN 9784434314322。
- 浅地正一『平成時代の経営課題――東商で学んだ労働問題』ビル管理ジャーナル社、1998年5月15日
- 寄稿「ジュリスト」有斐閣、1992年4月1日号「労働時間短縮問題に対する東京商工会議所の取り組み」
脚注
編集- ^ 「学生ゴルフ、蒲生、朝日杯を獲得」『朝日新聞』1959年11月28日、東京本社版、朝刊、9面。
参考文献
編集- 「産業新潮」産業新潮社、1999年5月、「立志熱伝、経営者は語る(7)浅地正一 日本ビルサービス社長」、48 (5), 50頁-53頁 CRID 1522543654688110976
- 『ガラスクリーニング革命を演出した男たち:スクイジーものがたり(ビルメンテナンスシリーズ)』ビル管理レポート編集部(編集)、社会環境研究所、1986年 全国書誌番号:87011260
- 「週刊ビル経営」ビル経営研究所、2006年1月23日、「日本ビルサービス、経営幹部を入れ換え浅地氏は特別顧問にービル代行社長矢口氏がNBS代表兼務」