泉国三郎
日本の政治家、弁護士 (1896-1963)
泉 国三郎(いずみ くにさぶろう、1896年〈明治29年〉12月30日[1] – 1963年〈昭和38年〉12月19日[2])は、衆議院議員、弁護士。
経歴
編集岩手県気仙郡世田米村(現在の住田町)出身。工場労働者、土木作業員、出稼ぎ労働者などを経験した後、1919年(大正8年)に上京して警視庁巡査となった[1]。翌年、大蔵省普通文官試験に合格[1]。1922年(大正11年)には弁護士試験に合格し、東京に弁護士事務所を開業した[1]。1925年(大正14年)、上閉伊郡遠野町(現在の遠野市)に事務所を移転[1]。労働農民党が結成されると、稗和支部長、上閉伊支部長、岩手県支部連合会常任執行委員などを務めた[1]。労働農民党解散後は岩手無産党を組織して、執行委員長として無産政党再建に勤めた[1]。遠野町会議員、岩手県会議員、遠野町助役[3]、同町長[4]を歴任。
1937年(昭和12年)、第20回衆議院議員総選挙に立憲政友会から出馬し、当選。第21回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。翼賛政治会から大日本政治会を経て、戦後、日本進歩党に入るが、間もなく公職追放となった[5]。追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙で日本社会党右派から立候補したが、落選した。
著書
編集- 『東北凶作を語る』(秀盛舎印刷、1934年)
脚注
編集参考文献
編集- 『御大典記念 岩手県名士肖像録』岩手県名士肖像録刊行会、1930年。
- 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 『岩手県町村合併誌』岩手県総務部地方課、1957年。