本項は、キエフ・ルーシ期にスーラ川沿いに築かれた要塞都市群(直訳:沿スーラ川防衛線 / ロシア語: Посульская оборонительная линия) に関して説明する。

これらの諸都市はキエフ大公ウラジーミル1世によってスーラ川ドニエプル川支流)沿いに建設され、ルーシの地をステップ遊牧民の襲撃から守る防衛拠点の役割を担った。また、これらの諸都市はペレヤスラヴリ公国領に含まれた。

沿スーラ川防衛線は以下の諸都市から構成された[注 1]

ポパシュヴィヤハニロムヌィ、コスニャチン(ru)ルブヌィ、ペソチェン(ru)、スネポロド(ru)、ゴロシン(ru)、シネチ(ru)ルコームリ、タラソフカ、チュトフカ、ヴェリーカヤ・ブロムカ、リャシチョフカ、キジヴェル、ジェルニ(ru)、パリャニブシチナ、ヴォイニ(ru)

諸都市の多くはモンゴルのルーシ侵攻を経て衰退し、現存していない。

注釈

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  1. ^ 諸都市名は便宜上ロシア語表記の転写を用いている。また、改称されてウクライナの自治体となっているものもあり、それらのウクライナ語表記に関しては各項目を参照されたし。

参考文献

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  • Моргунов Ю. Ю. Посульская граница: этапы формирования и развития. Курск, 1998.

関連項目

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