ルコームリロシア語: Лукомль)は、キエフ・ルーシ期にスラー川右岸に存在した都市である(現ベラルーシルコームリとは異なる)。現存しない。

概要

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ルコームリはスラー川右岸に位置し、ペレヤスラヴリ公国に属した。また沿スーラ川防衛線の一角を担った。史料上の初出は1178年であり、現ウクライナポルタヴァ州オルジツャ地区(ru)ルキムヤ(ru)付近の山に、広大な城址が残されている。この城址に対して複数回の考古学的調査が行われている。それによれば、街の北東には堀と防壁に囲まれた三角形の広場があり、また街の南は堀と二重の防壁に覆われていた。

文化遺跡地層(ru)[注 1]の厚さは1.8mに及び、発掘された遺物の大部分は11 - 13世紀のものである。

後世の17世紀にはこの都市跡にコサックの要塞が築かれた。また、詩人タラス・シェフチェンコが1846年に言及を残している。

脚注

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注釈

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  1. ^ 「文化遺跡地層」はロシア語: Культурный слойの訳による[1]。日本考古学用語では「遺物包含層(文化層)」が近似する概念と考えられる。

出典

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  1. ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年 - p401

参考文献

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  • Лукомль // Полтавщина: Енциклопедичний довідник / під ред. А. В. Кудрицького. — К.: Українська енциклопедія, 1992. — 1024 с.