油川夫人
日本の戦国時代~安土桃山時代の女性。武田氏一門油川信友の娘で、戦国大名武田信玄側室
油川夫人(あぶらかわふじん、享禄元年(1528年)? [注釈 1]- 元亀2年(1571年))は、甲斐国の戦国大名武田信玄の側室。油川氏の出身で、実名は不詳。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 享禄元年(1528年)? |
死没 | 元亀2年(1571年) |
氏族 | 源姓甲斐武田氏流油川氏 |
父母 | 父:油川源左衛門尉信守(油川信恵の子) |
子 | 仁科盛信、葛山信貞、松姫、菊姫、(真理姫?) |
特記 事項 | 不明が多い人物である |
出自
編集実父は江戸時代後期著の『甲斐国志』では、油川信友(源左衛門)としている。
油川氏は武田氏の支流で、信玄の祖父武田信縄の弟で、武田信昌の子油川信恵を祖とする[1]。信恵が永正5年(1508年)に勝山合戦にて滅亡しているが、油川信守、信友、油川信次と系譜が残った(油川氏参照)。
略歴
編集信玄の側室で、多くの子女を残した。仁科盛信・葛山信貞・松姫・菊姫の母であり、仁科盛信の生年が弘治3年(1557年)であるため、側室となった時期はこれ以前であると考えられている[2]。
元亀2年(1571年)に死去[2]。法名は「香林院殿慈雲妙英大姉」[2]。墓所は不明[2]。
武田氏は一族の子弟を征服した有力氏族の養子にして懐柔を図っており、油川夫人の子である盛信は信濃の仁科氏を、信貞は駿河の葛山氏を継いだ。また、永禄年間から武田氏は尾張国の織田氏と接触しており、松姫は永禄10年(1567年)に織田信長の嫡男織田信忠と婚約したが、元亀3年(1572年)に破談になった。菊姫は天正7年(1579年)に上杉景勝の正室となっている。
創作における「油川夫人」
編集実名は不明であるため、新田次郎の小説『武田信玄』では恵理[3]、井上靖の小説『風林火山』では
登場作品
編集- 映画
- テレビドラマ
脚注
編集参考文献
編集- 上野晴朗『武田信玄』 「母と子」の巻, 下、潮出版社、1987年11月、310頁。 NCID BA37099767。
- 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 油川 アブラカハ」『姓氏家系大辞典』 第1、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、172頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- 柴辻俊六 編「武田信玄とその一族」『新編武田信玄のすべて』新人物往来社、2008年6月。ISBN 9784404035141。 NCID BA86609440。
- 柴辻俊六「武田氏当主の妻妾」『山梨県史』 通史編 2、山梨県、2007年3月。 NCID BN15884946。全国書誌番号:21274883。
- 柴辻俊六 著「武田晴信側室」、丸島和洋; 平山優; 黒田基樹 ほか 編『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年5月。ISBN 9784490108606。 NCID BB18715918。