河野秀男
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河野 秀男(こうの ひでお、1874年(明治7年)9月4日 - 1938年(昭和13年)3月12日[1])は、日本の官僚。会計検査院長、貴族院勅選議員。
来歴
編集長野県下伊那郡河野村(現豊丘村)生まれ。1889年(明治22年)体育伝習所(現筑波大学体育専門学群)を卒業後、帰郷し飯田学校の体育教員となったが、再度上京し、1896年(明治29年)東京法学院(現中央大学)卒業。
1897年(明治30年)文官高等試験に合格し、1898年(明治31年)司法省属となり、1900年(明治33年)会計検査院に転じて1905年(明治38年)衆議院書記官を兼任し、1933年(昭和8年)会計検査院長となる。1934年(昭和9年)勲一等瑞宝章・勲一等旭日大綬章受勲。1938年(昭和13年)退官し、没する一ヶ月前の同年2月16日に貴族院議員(勅選議員)となった[2]。墓所は多磨霊園。
この間、会計検査官懲戒裁判所裁判官、官有財産調査委員会、預金部資金運用委員会の各委員等を務めた。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『河野秀男先生小伝』 豊丘村教育委員会、1994年。
公職 | ||
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先代 湯浅倉平 |
会計検査院長 1933年 - 1938年 |
次代 岡今朝雄 |