河堀稲生神社
河堀稲生神社(こぼれいなりじんじゃ)は、大阪市天王寺区大道にある神社。旧社格は村社[1]。
河堀稲生神社 | |
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社殿正面 | |
所在地 | 大阪府大阪市天王寺区大道3-7-3 |
位置 | 北緯34度38分59.8秒 東経135度31分11.3秒 / 北緯34.649944度 東経135.519806度座標: 北緯34度38分59.8秒 東経135度31分11.3秒 / 北緯34.649944度 東経135.519806度 |
主祭神 |
宇賀魂大神 崇峻天皇 素盞嗚尊 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 景行天皇時代 |
本殿の様式 | 権現造 |
別名 | 河堀ノ宮(通称) |
例祭 | 例大祭(7月18日・7月19日) |
地図 |
祭神
編集歴史
編集古代・景行天皇の時代、当時昼ヶ丘と呼ばれていたこの地に稲生の神を祀ったのが最初とされている。聖徳太子が四天王寺を建立した際に社殿が造営され、崇峻天皇を合祀して四天王寺七宮の一つに数えられた。
続日本紀によれば、延暦7年(788年)3月、摂津大夫・和気清麻呂が農業の振興と水害の防止を目的に、摂津国と河内国の国境に河川を築いて西方の海に流し込む大規模土木事業を提案し、工事の安全を祈願した。この工事を境に、付近一帯の地名表記は古保礼から河堀と改まった。
江戸時代初期、片桐且元の寄進により壮麗な権現造の拝殿に改まった。元禄2年(1689年)、素盞嗚尊を勧請し合祀する。
1907年(明治40年)、かつて大阪城内の屋敷の鎮守であってとされる清水谷の稲荷神社を合祀して、現在の社名に改まった。1945年(昭和20年)の大阪大空襲により江戸時代からの壮麗な社殿は焼失。現在の建物は1950年(昭和25年)に再建されたものである。
現地情報
編集- 所在地
- 交通アクセス
脚注
編集出典
編集- ^ 関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター 神社を中心とする村落生活調査報告(一)大阪府-大阪市・三島郡・豊能郡-2018年11月18日 閲覧