池田甚之助
池田 甚之助(いけだ じんのすけ、1846年1月9日(弘化2年12月12日[1])- 1901年(明治34年)10月27日[1])は、明治時代の政治家。池田家12代当主。貴族院多額納税者議員。秋田銀行の前身行の一つである、旧秋田銀行初代頭取。
池田 甚之助 いけだ じんのすけ | |
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生年月日 | 1846年1月9日 |
出生地 | 日本・出羽国山本郡高梨村 |
没年月日 | 1901年10月27日(55歳没) |
経歴
編集出羽国山本郡高梨村(秋田県仙北郡高梨村、仙北村、仙北町を経て現大仙市)に生まれる[2]。生家は豪農で庄屋を務めた[2]。
大区小区制が敷かれると、1872年(明治5年)秋田県第八大区第二小区戸長となり、ついで高梨村戸長、初代高梨村長などを歴任した[1]。明治期の秋田県の鉄道敷設に際しては発起人を務めた[3]。
1890年(明治23年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4][注 1]から1891年(明治24年)10月15日まで在任した[1][5]。
一族
編集- 長男・文太郎(明元年 - 昭和2年)
- 長女・イサ(明三、八生、大曲の佐々木吉郎右衛門の長男・鉄五郎の妻[6])
- 娘 ・ セチ (義弟 渡部佐一郎の姪チヨの夫耕蔵は貴族院議員 土田万助の義弟)[7]
- 孫娘・チカ (夫は一星恒助息子浩之助、浩之助の伯叔父は高安虎治)
- 純吉郎
- 禮治(明治五年十月生)
松浦千代松
編集- 孝八郎の母・ヤヱ(明元、九生、高橋吉郎兵衛の二女、甚之助の後妻)
- 養父・松浦千代松
- 孝八郎(千代松の養子となり、のちに千代松を襲名)
- 孝八郎の妻・キタ(明二三、一生、小西辰蔵の三女)
- 長男・磐治郎(明四三、二生)
- 長女クミ(大四、三生)
- 二男・長次郎(同六、七生)
- 三男・源三郎(同一〇、二生)
- 四男・竹四郎(同一五、八生)
脚注
編集注釈
編集- ^ 『議会制度七十年史 第1』179頁では明治23年6月とするが『官報』と相違するため誤記と思われる。
出典
編集参考文献
編集- 渡辺真英『秋田県管内名士列伝 : 国会準備』北辰堂、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。