池田斉訓
江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩9代藩主。従四位上・左近衛権少将。鳥取藩池田家宗家11代。池田斉稷の嫡子次男
池田 斉訓(いけだ なりみち)は、江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩9代藩主。官位は従四位上・左近衛権少将。
池田斉訓 | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 文政3年7月25日(1820年9月2日) |
死没 | 天保12年5月16日(1841年7月4日) |
戒名 | 瑞徳院殿智覚良温大居士 |
墓所 | 鳥取藩主池田家墓所 |
官位 | 従四位下・侍従、因幡守、左近衛権少将、従四位上 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 因幡鳥取藩主 |
氏族 | 因州池田家 |
父母 | 父:池田斉稷、母:高沢氏 |
兄弟 | 斉訓、素姫、池田斉衆正室、松平忠彦正室ら |
妻 | 泰姫 |
子 | 養子:慶行、儕 |
略歴
編集8代藩主・池田斉稷の次男として誕生した。
父・斉稷は始め徳川家斉の十三男を養嗣子・斉衆としたため、斉訓は庶子扱いだったが、文政9年(1826年)に斉衆が早世したため嫡子となる。天保元年(1830年)、父・斉稷が死去して家督を継ぐ。天保2年(1831年)、将軍家斉の前で元服式を行い、偏諱を受け斉訓と名乗る。従四位下侍従に任じられ、因幡守と称す。その後、家斉の娘・泰姫と婚約し、徳川宗家より厚遇される。天保6年(1835年)、左近衛権少将に昇任する。天保7年(1836年)、領国鳥取で天保の大飢饉が深刻化し、申年がしんと呼ばれた。天保11年(1840年)、泰姫と婚儀が行なわれ、従四位上に昇任する。
天保12年(1841年)、江戸城で死去した。法号は瑞徳院殿智覚良温大居士。嗣子が無かったため、分家の池田仲律の長男・慶行が養子として跡を継いだ。墓所は鳥取藩主池田家墓所。
系譜
編集参考文献
編集- 財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会/作成『史跡 鳥取藩主池田家墓所』(2006年3月31日刊行)