池田政養

江戸時代後期の大名。備中鴨方藩6代藩主、鴨方藩主家8代。池田政直の長男。従五位下・内匠頭

池田 政養(いけだ まさよし)は、江戸時代後期の大名備中国鴨方藩の第6代藩主

 
池田 政養
時代 江戸時代後期
生誕 安永元年12月8日1772年12月31日
死没 文政2年7月3日1819年8月23日
改名 陽助(幼名)、政養
戒名 養賢院殿
官位 従五位下内匠頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
備中鴨方藩
氏族 池田氏(利政流)
父母 池田政直:不詳
兄弟 政養政長長義四辻公万室、松平忠元継室
正室:兼子池田治政の娘)
側室:岩田氏
政共政広政善水野元茂
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略歴

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第5代主・池田政直の長男として誕生した。幼名は陽助。

寛政12年(1800年)8月26日、父の隠居により跡を継ぐ。文政2年(1819年)7月3日、48歳で死去する。跡を嫡男の政共が継いだ。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 大森映子『お家相続 大名家の苦闘』(吉川弘文館、2018年)p.83-99
  2. ^ a b 政広は政共の死後に家督相続するも、内密で政善とすり替わっており、以後は表向きの出自は入れ替えられている。
  3. ^ a b 政広の方が出生は約半年早い。旧暦では文化7年と8年になり、数え年は1歳違いになる。