池田仲雅
因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)7代藩主。池田重寛の四男。母は浅井氏(側室)。従五位下、摂津守。子に豊子、文之助、品子(松平定寧の妻)、鉄之丞、泰次郎、寿子(秋元昭朝の正室)
池田 仲雅(いけだ なかまさ)は、因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)の第7代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永9年4月22日(1780年5月25日) |
死没 | 天保12年6月24日(1841年8月10日) |
改名 |
季吉・松林倫吉・連之助(幼名)、 澄教(すみのり、初名)→仲雅 |
戒名 | 賢量院接翁義峻 |
墓所 | 鳥取藩主池田家墓所 |
官位 | 従五位下、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 因幡国鹿奴藩主 |
氏族 | 池田氏(因州家→鹿奴家) |
父母 |
父:池田重寛、母:浅井氏 養父:池田澄時 |
兄弟 | 治恕、治道、澄時、糸子(池田斉政室)、本子(松平信成室)、仲雅 |
妻 |
正室:溝口直信の娘・筆子 側室:斉藤氏、山口氏、市川氏、市野氏 |
子 | 豊子、英子(高木正明継室)、文之助、品子(松平定寧室)、仲律、鉄之丞、泰次郎、寿子(秋元昭朝正室)、仲諟(6男)、清直、鋼子(竹中熊三室)、正子(伊東祐鷹室)、栗(9男) |
略歴
編集安永9年(1780年)4月22日、本家の因幡鳥取藩の第5代藩主・池田重寛の四男として鳥取城で生まれる。天明5年(1785年)に異母兄で鹿奴藩の第6代藩主である澄時が死去したため、その養子として家督を継いだ。寛政7年(1795年)12月17日に従五位下・豊前守に叙位・任官され、文化4年(1807年)10月26日に飛騨守に遷任される。文政2年(1819年)4月3日に摂津守に遷任された。
文政7年(1824年)9月26日、三男・仲律に家督を譲って隠居する。天保12年(1841年)6月24日、江戸で死去した。享年62。
略系図
編集池田重寛鳥5 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
治道鳥6 | 澄時6 | 仲雅※a | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
斉稷鳥8 | 仲雅7※a | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
斉訓鳥9 | 仲律8 | 仲諟 | 清直若8 | 栗 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
慶行鳥10※b | 慶行※b | 仲建9 | 清緝若9 | 徳定若10 | 徳澄10 | 源11 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 実線は実子、点線は養子および婚姻を示す。
- すべての人物を掲載してはおらず、また兄弟・姉妹の順に配列してはいない。
- ※印は、同じ英字を付した人物が同一人物であることを示す。
- 太字の数字 6, 7…… は鳥取東館新田藩(鹿奴藩)主の代数を示す。
- 「鳥」を付した数字は鳥取藩主代数、「若」を付した数字は鳥取西館新田藩(若桜藩)主の代数を示す。