池松武之亮
日本の医師
池松 武之亮(いけまつ たけのすけ、1912年〈明治45年〉4月20日 - 1990年〈平成2年〉5月23日[1])は、日本の医師。
池松 武之亮 | |
---|---|
池松武之亮いびき研究所 | |
生誕 |
1912年4月20日 日本・熊本県 |
死没 |
1990年5月23日(78歳没) 千葉県 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 耳鼻咽喉科いびき |
研究機関 | 池松武之亮いびき研究所 |
出身校 | 千葉医科大学 |
主な業績 | いびき治療法を確立 |
主な受賞歴 | 勲五等双光旭日章 |
プロジェクト:人物伝 |
経歴
編集熊本県津奈木村(現・津奈木町)生まれ。父親が病院を開業した大分県竹田市荻町で育つ[3]。大邱医学専門学校(現・慶北大学校医科大学)[3]および千葉医科大学(現・千葉大学医学部)を卒業し、東京逓信病院および野田病院に勤務した。
1942年(昭和17年)に千葉県野田市にて池松耳鼻咽喉科を開業[3][4]。いびきが原因で一夜にして離婚を言い渡された女性の治療をきっかけにいびきの研究をはじめ、39年間で8,000例以上のいびき手術を行った[5]。1982年(昭和62年)にパリで開催された「第1回世界いびき学会」で名誉会長に就任した[3][6]。
栄典
編集- 勲五等双光旭日章
- 文部大臣学校保健功労賞
脚注
編集- ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.51
- ^ “池松武之亮いびき研究所”. 野田市観光協会. 2018年11月10日閲覧。
- ^ a b c d “いびき博士 池松武之亮先生の大きな足跡” (PDF). 広報竹田 2016 No.136. 竹田市. p. 24 (2016年7月). 2018年11月10日閲覧。
- ^ “いびき博士奮闘記 三女が竹田市に寄贈”. 大分合同新聞. (2019年4月14日) 2019年5月12日閲覧。
- ^ 池松亮子「耳鼻咽喉科におけるいびきカウンセリングの必要性」『耳鼻と臨床』第49巻、2003年、106頁、doi:10.11334/jibi1954.49.4Supplement2_S103。
- ^ “「いびき博士」生涯描いた本 娘が大分・竹田市に寄贈”. 朝日新聞. (2019年4月14日) 2019年5月12日閲覧。