池尻 共孝(いけがみ ともたか、1614年1月4日慶長18年11月24日) - 1683年11月2日天和3年9月14日))は、江戸時代公家池尻家初代当主。権大納言[1]

 
池尻 共孝
時代 江戸時代
生誕 1614年1月4日慶長18年11月24日
死没 1683年11月2日天和3年9月14日
戒名 霊光院月性常円
官位 正二位権大納言
主君 後水尾天皇明正天皇後光明天皇後西天皇霊元天皇
氏族 池尻家
父母 父:清閑寺共房
母親:光源寺智祐の娘
兄弟 清閑寺共綱梅小路定矩烏丸資慶室、富小路頼直
五条為適の娘
池尻勝房
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生涯

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内大臣清閑寺共房の次男として生まれ、後に池尻家を興した[1]

1649年2月23日慶安2年1月22日)に従三位となり、後に正二位・権大納言となる[1]

1683年11月2日天和3年9月14日)、死去[1][2]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d 1988年,続群書類従完成会『公卿諸家系図』
  2. ^ 1983年『弁官補任』