永原最弟麻呂
永原 最弟麻呂(ながはら の いやおとまろ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。氏姓は藤原朝臣、のち永原朝臣。参議・藤原弟貞の子または孫。官位は従五位上・諸陵頭。
時代 | 奈良時代 - 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・諸陵頭 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 藤原朝臣→永原朝臣 |
父母 | 父:藤原弟貞? |
兄弟 |
最弟麻呂、子伊太比?、恵子?、 藤原巨勢麻呂室? |
経歴
編集延暦10年(791年)従五位下に叙爵し、延暦15年(796年)内兵庫正に任ぜられる。
その後、藤原朝臣から永原朝臣に改姓し、大同3年(808年)従五位上・諸陵頭に叙任される。また、同年12月には姉妹と思しき子伊太比と恵子も同様に永原朝臣に改姓している[1]。弘仁3年(812年)豊前守を兼帯した。
官歴
編集『六国史』による。
脚注
編集- ^ 『日本後紀』大同3年12月9日条