気多郡 (兵庫県)
日本の兵庫県(但馬国)にあった郡
郡域
編集1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、豊岡市の一部(日高町赤崎および日高町浅倉を除く日高町各町・上佐野・八社宮・伏・清冷寺・加陽・土渕・引野・中郷・竹野町段・竹野町椒・竹野町三原)にあたる。
歴史
編集古代
編集式内社
編集神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
気多郡 21座(大4座・小17座) | |||||||
多麻良伎神社 | タマラキノ | 小 | 多摩良木神社 | 兵庫県豊岡市日高町猪爪 | |||
気多神社 | ケタノ | 小 | 気多神社 | 兵庫県豊岡市日高町上郷 | 但馬国総社 | ||
葦田神社 | アシタノ | 小 | 葦田神社 | 兵庫県豊岡市中郷 | |||
三野神社 | ミノノ | 小 | 三野神社 | 兵庫県豊岡市日高町野々庄 | |||
売布神社 (賣布神社) |
ヒメフノ | 小 | 売布神社 | 兵庫県豊岡市日高町国分寺 | |||
鷹貫神社 | タカヌキノ | 小 | 鷹貫神社 | 兵庫県豊岡市日高町竹貫 | |||
久刀寸兵主神社 | クトワ- クトムラ- クトネ- |
小 | 久刀寸兵主神社 | 兵庫県豊岡市日高町久斗 | |||
日置神社 | ヒオキノ ヒキ |
小 | 日置神社 | 兵庫県豊岡市日高町日置 | |||
楯縫神社 | タテヌヒノ | 小 | 楯縫神社 | 兵庫県豊岡市日高町鶴岡 | |||
井田神社 | ヰタノ | 小 | 井田神社 | 兵庫県豊岡市日高町鶴岡 | |||
思往神社 | オモヒヤリノ ヲモノユクノ |
小 | 思往神社 | 兵庫県豊岡市日高町中 | |||
御井神社 | ミヰノ | 小 | 御井神社 | 兵庫県豊岡市日高町土居 | |||
高負神社 | タカフノ タカオヒノ |
小 | 高負神社 | 兵庫県豊岡市日高町夏栗 | |||
佐久神社 | サクノ | 小 | 佐久神社 | 兵庫県豊岡市日高町佐田 | |||
神門神社 | カムトノ | 小 | 神門神社 | 兵庫県豊岡市日高町荒川 | |||
伊智神社 | イチノ | 小 | 伊智神社 | 兵庫県豊岡市日高町府市場 | |||
須谷神社 | スタニノ | 小 | 須谷神社 | 兵庫県豊岡市日高町藤井 | |||
山神社 | ヤマノ | 名神大 | 山神社 | 兵庫県豊岡市日高町山宮 | [1] | ||
戸神社 | トノ ヘノ |
名神大 | 戸神社 | 兵庫県豊岡市日高町十戸 | [2] | ||
雷神社 | イカツチ | 名神大 | 雷神社 | 兵庫県豊岡市佐野 | [3] | ||
㯮椒神社[注 1] | ホソキノ | 名神大 | 㯮椒神社 | 兵庫県豊岡市竹野町椒 | [4] | ||
凡例を表示 |
- ^ 1字目は「木偏に蜀」。
近世以降の沿革
編集- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[1]。幕府領は生野代官所が管轄。(78村)
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 66村 | 清冷寺村[2]、伏村、加陽村、上佐野村、土淵村、中郷村、野々庄村、池上村、大岡寺村、堀村、新村、松岡村、府市場村、多田屋村、夏栗村、道場村、海老原村、名色村、栗栖野村、日置村、引野村、上石村、土居村、竹貫村、山宮村、比垣村、栃本村、万場村、山田村、万劫村、水口村、東河内村、太多村、椒村[3]、殿村、広井村、三所村、観音寺村、猪子垣村、石井村、猪爪村[4]、谷村、奈佐路村、河江村、荒川村[5]、田之口村、伊福村、知見村、十戸村、藤井村、野村、稲葉村、久田谷村、三原村、佐田村、庄境村、森山村、上郷村、久斗村、栗山村、篠垣村、奥八代村、段村、羽尻村、伊府村 |
旗本領 | 4村 | 芝村(現・豊岡市日高町芝)、水上村、山本村、八代中村 | |
藩領 | 但馬出石藩 | 6村 | 宵田村[6]、国分寺村、石立村、江原村 |
幕府領・藩領 | 幕府領・旗本領 | 1村 | 芝村(現・豊岡市日高町東芝、西芝) |
旗本領・出石藩 | 1村 | 祢布村 |
- 慶応4年
- 明治2年 - 旗本領が久美浜県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第1次府県統合により兵庫県の管轄となる。
- 明治初年(79村)
- 芝村が分割し、久美浜県管轄分が東芝村に、旗本領が西芝村となる。
- 新村が府中新村に、奥八代村が八代村に、八代中村が中村にそれぞれ改称。
- 明治9年(1876年)(76村)
- 多田屋村・伊福村が合併して鶴岡村となる。
- 国分寺村・石立村が合併して国保村となる。
- 地下村が岩中村に合併。
- 明治12年(1879年)1月8日 - 郡区町村編制法の兵庫県での施行により、行政区画としての気多郡が発足。「出石気多郡役所」が出石郡出石に設置され、同郡とともに管轄。
- 明治22年(1889年) - 町村制の施行により、以下の各村が発足。全域が現・豊岡市。(7村)
- 中筋村 ← 中郷村、引野村、土淵村、加陽村、清冷寺村、伏村、八社宮村
- 国府村 ← 松岡村、土居村、上郷村、府市場村、府中新村、堀村、野々庄村、池上村、東芝村、西芝村、上石村、上佐野村、竹貫村
- 八代村 ← 藤井村、奈佐路村、谷村、中村、猪爪村、八代村、小河江村[7]、河江村、大岡寺村
- 日高村 ← 久田谷村、道場村、夏栗村、久斗村、岩中村、宵田村、江原村、日置村、鶴岡村、祢布村、国保村、水上村、山本村
- 三方村 ← 羽尻村、殿村、田之口村、広井村、猪子垣村、芝村、庄境村、野村、三所村、荒川村、伊府村、篠垣村、佐田村、知見村、森山村、栗山村、観音寺村、海老原村
- 西気村 ← 稲葉村、水口村、万劫村、東河内村、山田村、栗栖野村、万場村、名色村、栃本村、石井村、十戸村、比垣村、山宮村、太多村
- 三椒村 ← 椒村、三原村、段村
- 明治27年(1894年)12月15日 - 西気村の一部(名色村・十戸村・頃垣村〈比垣村〉・石井村・山宮村・栃本村・太多村)が分立して清滝村が発足。(8村)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、城崎郡・美含郡・気多郡の区域をもって、改めて城崎郡が発足。同日気多郡廃止。
行政
編集- 出石・気多郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)1月8日 | |||
明治29年(1896年)3月31日 | 城崎郡・美含郡との合併により気多郡郡廃止 |
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 28 兵庫県、角川書店、1988年9月1日。ISBN 4040012801。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
編集先代 ----- |
行政区の変遷 - 1896年 |
次代 城崎郡 |