毛利与一
毛利 与一(もうり よいち、1901年4月15日[1] - 1982年1月30日[1])は、日本の弁護士。
もうり よいち 毛利 与一 | |
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生誕 |
1901年4月15日 日本・福岡県北九州市 |
死没 | 1982年1月30日(80歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部 |
職業 | 弁護士 |
著名な実績 | 第2次大本教事件、人民戦線事件、松川事件、砂川事件などの公安事件で弁護活動を行なった |
人物・来歴
編集1925年に京都帝国大学法学部を卒業[2]。1928年には大阪で法律事務所を開く[1]。その後は第2次大本教事件、人民戦線事件、天理本道事件などの弁護人を務める[1]。戦後、東京裁判では平沼騏一郎の補佐弁護人を務め、鈴木大阪警視総監名誉毀損事件ではGHQの裁判干渉に抗議しながら弁護に当たった[1]。その他にも松川事件、八海事件、破壊活動防止法京都事件、朝日訴訟、砂川事件などで弁護活動を行った[1]。
1958年『自由心証論 : 有罪心証としての』で立命館大学法学博士を取得。1959年に大阪弁護士会会長を務めた。禅の比較思想的研究も行っていた。