比良 (砲艦)
比良(ひら)は、日本海軍の砲艦。勢多型砲艦の2番艦である。艦名は「近江八景」の一つ「比良の暮雪」で知られる景勝地「比良山地」にちなんで名づけられた。
艦歴
編集三菱神戸造船所において完成、それを解体し漢口に輸送、揚子江機器有限公司で組立てを行い、1923年8月24日に竣工、二等砲艦に類別された。
1931年6月1日、砲艦に類別変更。翌年の第一次上海事変において、上海や長江方面の警備に従事した。日中戦争において、上海陸上作戦の支援、長江遡行作戦に加わった。太平洋戦争においては、長江流域の警備に従事した。1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。
1944年11月26日、安慶で中国軍機の爆撃を受け大破し、そのまま終戦を迎えた。1945年9月30日に除籍された。
艦長
編集※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。
- 艤装員長
- 艦長
- 湯野川忠一 少佐:1923年8月24日[2] - 1923年12月1日[3]
- 小林仁 少佐:1923年12月1日 - 1925年1月6日
- 三浦友三郎 少佐:1925年1月6日[4] - 1926年6月15日[5]
- 岡野俊吉 少佐:1926年6月15日[5] - 1927年6月20日[6]
- 広瀬末人 少佐:1927年6月20日 - 1928年11月1日
- 前田稔 少佐:1928年11月1日 - 1930年5月1日
- 山澄貞次郎 少佐:1930年5月1日 - 1932年4月1日
- 三上射鹿 少佐:1932年4月1日[7] - 1933年10月20日[8]
- 板倉得止 少佐:1933年10月20日 - 1934年11月15日
- 小田為清 中佐:1934年11月15日 - 1935年11月15日
- 本告唯次 少佐:1935年11月15日[9] - 1937年1月9日[10]
- 土井申二 中佐:1937年1月9日[10] - 1938年2月10日[11]
- 長屋茂 中佐:1938年2月10日[11] - 1938年12月15日[12]
- 島内吉次 中佐:1938年12月15日[12] - 1939年9月25日[13]
- 久保田智 中佐:1939年9月25日 - 1940年10月15日
- 土橋豪実 少佐:1940年10月15日[14] - 1941年8月20日[15]
- 坂元常男 少佐:1941年8月20日[15] -
同型艦
編集脚注
編集- ^ 『官報』第3093号、大正11年11月21日。
- ^ a b 『官報』第3323号、大正12年8月27日。
- ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ 『官報』第3710号、大正14年1月7日。
- ^ a b 『官報』第4143号、大正15年6月16日。
- ^ 『官報』第142号、昭和2年6月21日。
- ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。
- ^ 『官報』第2043号、昭和8年10月21日。
- ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
- ^ a b 『官報』第3004号、昭和12年1月11日。
- ^ a b 「海軍辞令公報 号外 第138号 昭和13年2月15日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第382号 昭和14年9月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076300
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第695号 昭和16年8月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081800
参考資料
編集関連項目
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