武居 高四郎(たけい たかしろう、1893年8月2日 - 1972年8月9日)は、日本の都市計画家土木工学者。専門は都市計画学。工学博士京都帝国大学)。京都大学名誉教授。本邦の都市計画学の草分けとして知られる。実業家武居綾蔵の養子で、妻妙子は湯川秀樹の次姉。

武居 高四郎
人物情報
生誕 (1893-08-02) 1893年8月2日
死没 (1972-08-09) 1972年8月9日(79歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都帝国大学工科大学
両親 武居綾蔵(養父)
学問
研究分野 都市計画学、土木工学
研究機関 京都帝国大学
京都大学
金沢大学
学位 工学博士(京都帝国大学)
称号 京都大学名誉教授
テンプレートを表示

人物

編集

岡山県津高郡一宮村(現・岡山市北区)に生まれる(旧姓小野)。旧制岡山県立岡山中学校第六高等学校を経て1917年京都帝国大学工科大学土木工学科を卒業。 大阪市役所に入り市区改正部などで技師として奉職。次いで内務省技師、国の都市計画の実務に従事する。この間米国ハーバード大学、英国リヴァプール大学に留学、都市計画学を学ぶ。1922年京都帝国大学工学部が日本最初の都市計画の講座(土木工学第六講座)を開設。1926年助教授として迎えられ同講座を担当する[1]1928年教授。1938年学位論文「地方計画の研究」により京都帝国大学より工学博士号を取得[2]1950年より金沢大学教授を併任する(-55年)。1956年京都大学名誉教授。

勃興期にある日本の都市計画に新風をもたらし、1956年の退職まで30年間にわたって後進の育成と都市計画学の確立に専念。実務として大阪、神戸、堺、西宮、尼崎、金沢、中国長春などの都市計画、都市建設事業に参加した。日本都市計画学会の創設にも関わり、都市計画審議会委員も務めた。早くより都市計画、国土計画に刮目、研究した成果を論文、著書に残した。

栄典

編集

主著

編集
  • 『都市計画図譜』広陵社、1926年
  • 『地方計画の理論と実際』冨山房、1938年
  • 『新都市計画』秋田屋、1947年
  • 『道路工学』大雅堂、1948年
  • 『都市計画』山海堂、1949年 / 共立出版、1958年
  • 『都市計画 続篇』山海堂、1951年

記念論文集

編集
  • 武居先生退官記念事業会 編発行『武居高四郎先生退官記念論文集』1956年

脚注

編集
  1. ^ 土木工学教室六十年史 1957, p. 50、108.
  2. ^ NII論文ID:NAID 500000487722
  3. ^ 『官報』(号外第48号)1966年(昭和41年)4月30日、p.2

参考文献

編集
  • 『京都大学工学部土木工学教室六十年史』京都大学工学部土木工学教室創立六十年事業会、1957年。 
  • 米谷栄二「日本都市計画学会顧問武居高四郎博士の御随去を悼む」(都市計画73号、昭和47年11月)
  • 米谷栄二「土木と100人武居高四郎」p.48(土木学会誌68巻8号、昭和58年8月)
  • 『事典日本の科学者:科学技術を築いた5000人』板倉聖宣〔監修〕、日本アソシエーツ、2014年、473-474頁
  • 京都大学 歴代総長・教授・助教授履歴検索システム―対象:1949年以前の在職者―