武光忠棟
武光 忠棟(たけみつ ただむね)は、安土桃山時代の武将。豊臣氏の家臣。
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 1615年? |
別名 | 竹光伊豆守 |
官位 | 伊豆守、式部少輔 |
主君 | 豊臣秀吉→秀頼 |
氏族 | 武光氏 |
略歴
編集豊臣秀吉に仕え、文禄3年(1594年)に美濃国長松城5000石を賜る。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍に属し、石田三成の家臣・前野忠康らと福束城の丸毛兼利を救援するが8月16日に陥落したため、長松城に戻った。8月24日、長松城近くの赤坂に東軍が集結すると城を捨て、氏家行広の伊勢国桑名城に篭城した。戦後は浪人となったが慶長19年(1614年)に大坂の陣が起こると大坂に入城し夏の陣では仙石秀範や浅香長門守らと共に3000人程の兵をもって大坂城の守備を担当し落城後、河内国枚方にて自害した。