正親町三条秀子
南北朝時代・室町時代の女性。光厳天皇の典侍。准三宮。子に長女(1333.1.25-)
正親町三条 秀子(おおぎまちさんじょう ひでこ、応長元年(1311年) - 観応3年11月28日(1353年1月12日))は、南北朝時代・室町時代の女性。光厳天皇の典侍で、崇光天皇・後光厳天皇の生母。父は内大臣正親町三条公秀。准三宮。院号は陽禄門院。
正親町三条 秀子 | |
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続柄 | 光厳天皇典侍、崇光天皇・後光厳天皇生母 |
称号 | 陽禄門院 |
身位 | 従三位・准三宮、女院 |
出生 |
応長元年(1311年) |
死去 |
観応3年11月28日(1353年1月12日)(享年42) |
配偶者 | 光厳天皇 |
父親 | 正親町三条公秀 |
延元2年(1337年)3月に従三位に叙任。光厳上皇に最も長く仕え、崇光・後光厳両天皇を産む。観応3年(1352年)6月頃より病み、10月に院号宣下と同時に准三宮となり、同年出家して、11月28日に42歳で薨去した。大梅山長福寺に埋葬された。