正田文右衛門 (5代)
日本の実業家・政治家
五代 正田 文右衛門(ごだい しょうだ ぶんえもん、前名・唯一郎[1]、1858年12月29日(安政5年11月25日) - 1941年(昭和16年))は、日本の政治家(群馬県邑楽郡館林町長)[2]、醤油醸造家(亀甲正醤油醸造元)[2]、実業家。正田醤油取締役社長[2]。群馬醤油同業組合長[3]。族籍は群馬県平民[3]。上皇后美智子は曽孫にあたる。今上天皇の高祖父。
人物
編集群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。正田文右衛門の長男[2]。正田家は旧幕時代「米文」と称し米穀商を営んでいたが、祖父・文七に至りこれを廃し1873年以降醤油醸造業に従事した[2]。
醤油醸造業を営み群馬醤油同業組合長であった[3]。其の他営業税審査委員、所得税調査委員に挙げられ日本赤十字社群馬支部商議員であった[3]。1922年、公共団体に土地や金銭を寄附し、旌表された[4]。住所は館林目車町(現・館林市栄町)。
家族・親族
編集- 正田家
- 祖父・三代文右衛門(1818年 - 1895年、文七、米穀商、醤油醸造業)[1]
- 父・四代文右衛門(前名・兼太郎、群馬平民)[3]
- 母・しん(1850年 - ?、栃木、長眞人の二女)[3]
- 妹・てる(1877年 - ?、東京、坂本友七の妻)[2][5]
- 妻・あつ(1862年 - ?、栃木、長眞人の四女)[3]
- 長女・きぬ(1880年 - 1970年、群馬、正田貞一郎の妻)[2] - 上皇后美智子の祖母。
- 二女・ふう(1882年 - ?)[2]
- 長男・六代文右衛門(1890年 - 1973年、前名・敏一郎)[2]
- 四女・すま(1895年 - ?、栃木、木村浅七の妻)[2]
- 五女・より(1897年 - ?、群馬、今井善兵衛の弟恭次郎の妻)[2]
- 二男・卓治(1899年 - ?)[2]
- 六女・ひろ(1901年 - ?、東京、堀江善次郎の妻)[2]
- 七女・かう(1903年 - ?)[2]
- 親戚
脚注
編集- ^ a b 『群馬県邑楽郡誌』686 - 687頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第9版』シ88頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』し40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月9日閲覧。
- ^ 『群馬県邑楽郡多々良村誌』308頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月6日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第10版 上』サ97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月13日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 群馬県邑楽郡教育会編『群馬県邑楽郡誌』群馬県邑楽郡教育会、1917年。
- 群馬県邑楽郡多々良村編『群馬県邑楽郡多々良村誌』群馬県邑楽郡多々良村、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。