歌川国孝
江戸時代末の浮世絵師
来歴
編集歌川国貞の門人。名は喜之助、歌川の画姓を称し一玉斎、一柳斎、柳蝶楼と号す。柳島に住む。作画期は安政から慶応の頃にかけてで、版本の挿絵や風景画を残している。
作品
編集- 『蘇防染桜模様』 合巻 ※葎窓貞雅作、文久2年(1862年)刊行。師の国貞とともに挿絵を描く。
- 『百姓往来注釈』 往来物 ※藤村秀賀注、文久3年序
- 『口上茶番指南車』 滑稽本 ※春霞楼秀賀作、元治2年(1865年)刊行
- 「名所堀きり景」 大判錦絵3枚続 静岡県立中央図書館所蔵 ※安政4年(1857年)、「一玉斎国孝」の落款
- 「大坂下り 桜綱駒寿」(漁師) 大判錦絵 ボストン美術館所蔵 ※安政4年
- 「大坂下り 桜綱駒寿」(公家) 大判錦絵 ボストン美術館所蔵 ※安政4年
- 「江戸名所尽 金龍山浅草寺」 横大判錦絵 江戸東京博物館所蔵 ※万延元年(1860年)
- 「江戸名所之内」 横大判錦絵揃物 ※万延元年、「亀井戸天満宮」など
- 「信濃国川中島大合戦」 大判錦絵三枚続 ボストン美術館所蔵 ※文久3年
- 「競馬御遊覧之図」 大判錦絵三枚続 ボストン美術館所蔵 ※文久3年