橘長盛
橘 長盛(たちばな の ながもり)は、平安時代前期の貴族・歌人。大膳大夫・橘春成の孫。尾張守・橘秋実の七男。官位は従五位下・長門守。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・長門守 |
主君 | 宇多天皇→醍醐天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘秋実、母:秋篠氏成娘 |
妻 | 棟良王娘 |
子 | 直幹、忠幹 |
経歴
編集醍醐朝において、大膳少進・少監物を経て、兵部丞・式部丞を歴任。延喜13年(913年)従五位下に叙爵し、のち長門守に任ぜられて地方官に転じた。
勅撰歌人であり、宇多天皇の布引滝行幸に従った際に詠んだ和歌1首が『古今和歌集』に採録されており[1]、神戸市中央区の布引の滝に歌碑がある[2]。
官歴
編集『古今和歌集目録』による。
系譜
編集注記のないものは『尊卑分脈』による。
脚注
編集- ^ 『古今和歌集』927
- ^ 布引三十六歌碑(神戸市中央区HP)
- ^ 『古今和歌集目録』
- ^ 『本朝皇胤紹運録』
参考文献
編集- 『尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1958年