橘純一
橘 純一(たちばな じゅんいち、1884年(明治17年)2月25日 - 1954年(昭和29年)1月19日)は、国文学者。
経歴
編集東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座)生まれ。児島喜三郎の五男。橘守部直系の家へ養子に入る。第二高等学校、1909年東京帝国大学文学部国文科卒。同助手、13年府立第五中学校教諭、21年『橘守部全集』を編集刊行。25年退職、各学校講師をしながら著述生活。36年国語解釈学会を創立、雑誌『国語解釈』を創刊。41年陸軍士官学校教官、50年跡見学園短期大学教授。没後、二松学舎大学名誉教授の称号を追贈。[1]
著書
編集- 『豊受大神御神霊考』四海書房、1930
- 『上代国語国文学』六文館、1932
- 『大鏡新講』三省堂 新撰国文叢書、1933
- 『中等学校国語教材解釈』慶文堂書店、1941
編纂
編集参考
編集- コトバンク
- 関根俊雄「橘純一教授略年譜・主要著作目録」『国語と国文学』第31巻第4号、東京 : 筑摩書房、1954年4月、90-94頁、CRID 1520572357001827072、ISSN 03873110。
脚注
編集- ^ 「コトバンク」の記述では「東洋大、日本女子大、立正大などの教授を歴任」とあるが、「略年譜」ではこれらの大学では講師をしたのみである。
- ^ 有働裕「橘純一による「源氏物語」批判 ―削除を要求された小学校国語科教材―」『愛知教育大学教科教育センター研究報告』第21巻、愛知教育大学、1997年3月、278-270頁、CRID 1050845763366780672、hdl:10424/4006、ISSN 0288-1853。
有働裕『「源氏物語」と戦争 : 戦時下の教育と古典文学』インパクト出版会。ISBN 4755401275。