橘 正通(たちばな の まさみち)は、平安時代中期の貴族・歌人・漢詩人。右大臣・橘氏公の玄孫[1][2]である大舎人頭・橘実利の子。官位は正四位下・宮内卿[1]。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正四位下・宮内卿 |
主君 | 円融天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘実利 |
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大学寮にて学び、源順に師事する。加賀掾・宮内少丞を歴任。具平親王の侍読を務め、門下に紀斉名らを育てた。
『本朝神仙伝』によると、晩年は高麗へと渡ったという。天禄3年(972年)の「女四宮歌合」などへの出詠が知られ、『詞花和歌集』『本朝文粋』『類聚句題抄』『善秀才宅詩合』などにその詩作が残っている。