橋林寺
群馬県前橋市にある曹洞宗の寺院
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橋林寺(きょうりんじ)は、群馬県前橋市住吉町にある曹洞宗の寺院。山号は青松山、院号は高竹院[1]。本尊は聖観世音菩薩。
橋林寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 群馬県前橋市住吉町1-13-32 |
位置 | 北緯36度23分50.7秒 東経139度04分04.3秒 / 北緯36.397417度 東経139.067861度座標: 北緯36度23分50.7秒 東経139度04分04.3秒 / 北緯36.397417度 東経139.067861度 |
山号 | 青松山 |
院号 | 高竹院 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 文明7年(1475年) |
開山 | 玉岑 |
開基 | 長尾景信 |
正式名 | 青松山 高竹院 橋林寺 |
法人番号 | 5070005000232 |
歴史
編集1475年(文明7年)、厩橋城主の長尾左衛門尉景信が金井曲輪に創建したとされる[2][3]。1477年(文明9年)、沼田迦葉山竜華院の玉岑和尚を招いて開山とした[1][4][5]。当初、高竹院または本橋院といったが、1585年(天正13年)に橋林寺と改められた[1][4][5]。その後、天正年間に広小路へと移転した[要出典]。
1650年(慶安3年)2月、現在の場所へと移転[6][2]。
1785年(天明5年)7月、火事によって、伽藍・什宝が全焼する[1]。
1932年(昭和7年)、納骨堂(現在の開山堂)竣工[8][3]。
1945年(昭和20年)8月5日、前橋空襲で本堂、庫裡などを焼失[3]。死体収容所として、庭で火葬が行われた[9]。
2024年(令和6年) 7月、遺骨安置所を建立。
建造物
編集開山堂
編集1932年(昭和7年)に竣工。中村鎮設計、小林工業施工。鉄筋コンクリートブロック造、2階建、入母屋造、桟瓦葺[3]。
納骨堂として建築されたが、元の本堂が空襲で焼失したため、本堂に改築された[8]。
2024年(令和6年) 7月より遺骨安置所を設置。
観音堂
編集厨子に秘仏が安置されていて、この秘仏は子育て観音として有名。また、この秘仏を開くと火難があるといわれており、御開帳は60年に一度[10]。
鐘楼
編集1955年(昭和30年)に建立。梵鐘は1895年(明治28年)山岸九郎兵衛の作。鐘身長88cm、口径69cm、重量推定370kg[11]。太平洋戦争の時に供出されたが、終戦後に八王子の森田鉄工所で発見され寺に戻された[12]。
脚注
編集参考文献
編集- 群馬県教育委員会『群馬県の近代和風建築』群馬県前橋市大手町一丁目1番1号、2012年3月(原著2012年3月)。doi:10.24484/sitereports.101999。 NCID BB08932137 。
- 木暮幹夫著『群馬の鐘楼と梵鐘』群馬ライフ、2008年7月。
- 近藤義雄、丸山知良編著『上州のお宮とお寺 寺院篇』上毛新聞社出版局、1978年7月。
- 清水慶一編『颯爽たる上州』群馬銀行、1995年10月。ISBN 4873520657。
- 上毛新聞社編『群馬のお寺 曹洞宗 1』上毛新聞社、2002年11月。ISBN 4880588555。
- 住吉町一丁目成年会文化部編『住吉ものがたり』住吉町一丁目成年会文化部、1982年8月。
- 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年。
- 前橋市戦災復興誌編集委員会 編『戦災と復興』前橋市役所、1964年3月。