橋本定寿
橋本 定寿(はしもと さだひさ[1]、1890年〈明治23年〉10月3日[2] - 1967年〈昭和42年〉12月30日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓は茨木[2]。功四級[1]。
橋本 定寿 | |
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生誕 |
1890年10月3日 日本 千葉県 |
死没 | 1967年12月30日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1890年(明治23年)に千葉県で生まれた[2]。陸軍士官学校第26期卒業[3]。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍輜重兵大佐進級と同時に陸軍自動車学校教官に着任[1]。1941年(昭和16年)8月に陸軍機甲整備学校研究部主事に転じ[1]、1943年(昭和18年)10月29日に久留米第二陸軍予備士官学校長に就任した[1]。同年12月15日に野戦船舶本廠附となり[1]、1944年(昭和19年)10月31日に船舶整備教育隊長に就任した[4]。
1945年(昭和20年)3月19日に第16船舶団長(船舶司令部・東京船舶隊)に就任し[2][3]、6月10日に陸軍少将に進級して終戦となった[1][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。