樋の口町 (名古屋市)
名古屋市西区の地名
樋の口町(ひのくちちょう)は、愛知県名古屋市西区の地名。丁番を持たない単独町名である。住居表示実施[5]。
樋の口町 | |
---|---|
ホテルナゴヤキャッスル | |
北緯35度11分5.78秒 東経136度53分44.16秒 / 北緯35.1849389度 東経136.8956000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 西区 |
面積 | |
• 合計 | 0.0353853 km2 |
人口 | |
• 合計 | 59人 |
• 密度 | 1,700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
451-0034[3] |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理
編集歴史
編集町名の由来
編集当地に名古屋城の堀の水量を調整する施設があったことに由来するという[7]。
沿革
編集- 明治4年 - 名古屋村の一部により、愛知郡樋ノ口町として成立[8]。
- 1876年(明治9年) - 西外堀町を編入する[8]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 名古屋区成立に伴い、同区樋ノ口町となる[8]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市樋ノ口町となる[8]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 西区成立に伴い、同区樋ノ口町となる[8]。
- 1911年(明治44年)11月1日 - 南外堀町の一部を編入する[8]。
- 1934年(昭和9年)12月15日 - 一部が中区長畝町に編入される[9]。
- 1942年(昭和17年)5月20日 - 俵町・数寄屋町の各一部を編入する[8]。
- 1980年(昭和55年)10月12日 - 樋ノ口町は樋の口町・城西三丁目・堀端町・数寄屋町に編入され、堀川のみに残る[8]。また、樋の口町が樋ノ口町の一部により成立[8]。
世帯数と人口
編集2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
樋の口町 | 25世帯 | 59人 |
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[11]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 名古屋市立城西小学校 | 名古屋市立浄心中学校 | 尾張学区 |
施設
編集- 木曽御岳本教天明教会[6]
- ホテルナゴヤキャッスル[12]
その他
編集日本郵便
編集脚注
編集- ^ “愛知県名古屋市西区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2017年4月8日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年2月20日). 2019年3月10日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月10日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2015年10月21日). “西区の町名一覧”. 名古屋市. 2017年8月7日閲覧。
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1508.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 223.
- ^ a b c d e f g h i 名古屋市計画局 1992, p. 757.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 779.
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 234.
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年03月10日閲覧 (PDF)
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、樋の口町 (名古屋市)に関するカテゴリがあります。