榊原陽
日本の実業家
経歴
編集1962年[2]、父母とテック(東京イングリッシュ・センター)を創業。1963年、東京言語研究所を創立(初代所長は服部四郎)。ロマーン・ヤーコブソンやノーム・チョムスキーら言語学者を招待し、講演、セミナーを行う。
1966年、谷川雁(山口健二を介して知合っていた[3])らと株式会社テックの一部門として、ラボ教育センター発足。のち、社長となる。1980年、谷川の退社とほぼ同じく、ラボ教育センターを退社。
1981年言語交流研究所創立に参加。また同年11月、同研究所の実践部門「ヒッポファミリークラブ」を創設。1984年には、研究部門トランスナショナル・カレッジ・オブ・レクスを創設。
ヒッポファミリークラブの活動の前提として、「学生や成人になっても、母語以外の言語を自然習得できる」と主張している。
著書
編集- 『ことばを歌え!こどもたち』筑摩書房 1985年
- 『ことばを歌え!こどもたち 増補改訂版』筑摩書房 1989年
- 『ことばはボクらの音楽だ!』明治書院 2013年