楢崎元好
楢崎 元好(ならさき もとよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。楢崎氏は備後国芦田郡久佐[1]の朝山二子城(楢崎城)を本拠とした国人で、毛利氏の家臣となる。長州藩士。父は楢崎景好。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 永禄5年(1562年) |
死没 | 寛永8年5月1日(1631年5月31日) |
別名 | 通称:吉蔵→与兵衛尉 |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 湯原姓楢崎氏 |
父母 | 父:楢崎景好 |
兄弟 | 元好、元景、就豊、元重 |
妻 |
正室:宍戸元富の娘 継室:光井右京の娘 |
子 | 就継、就正、奈古屋正氏、女(友田隆兼室) |
生涯
編集慶長2年(1597年)から始まる慶長の役において、元好は従兄弟の元兼や政友らと共に毛利秀元に従って朝鮮に渡ったが、同年9月18日に元兼が釜山で病死した。元兼には嗣子がいなかったため、元好が跡を継いだ。