楠田芳子
日本の脚本家(1924−2013)
楠田 芳子(くすだ よしこ、1924年(大正13年)3月12日[1][2] - 2013年(平成25年)12月3日[3][4])は、日本の脚本家。
くすだ よしこ 楠田 芳子 | |
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生年月日 | 1924年3月12日 |
没年月日 | 2013年12月3日(89歳没) |
出生地 | 静岡県浜松市 |
ジャンル | 脚本家 |
配偶者 | 楠田浩之(1944年 - 2008年)(死別) |
著名な家族 |
木下恵介(兄) 木下忠司(兄) 楠田泰之(息子) |
来歴
編集静岡県浜松市出身。木下恵介(映画監督)と木下忠司(作曲家)は兄。
1942年(昭和17年)、実践女子専門学校家政研究科を卒業。1944年(昭和19年)、楠田浩之(映画カメラマン)と結婚した[5]。楠田泰之(テレビプロデューサー・演出家)は息子である。
1965年から木下恵介プロダクション(ドリマックス・テレビジョンの前身)に参加し、1970年にフリーとなる。1993年(平成5年)には「シナリオ功労賞(第17回)」を受賞した[5]。
主な作品
編集脚本・脚色
編集テレビドラマ
編集- 「木下恵介劇場 / 木下恵介アワー」(TBS)
- 喜びも悲しみも幾歳月(1965年)
- あしたからの恋(1970年)
- 氷点(1966年、NET)
- 三人の母(1968年-1969年、TBS「ポーラテレビ小説」)
- 豆腐屋の四季(1969年-1970年、朝日放送)
- みんなで7人(1972年、TBS)
- 北の家族(1973年-1974年、NHK総合「連続テレビ小説」)
- 家族あわせ(1974年-1975年、TBS)
- 「月曜スター劇場」(NTV)
- 一人来い二人来いみんな来い(1980年-1981年、TBS)
- めぐりあいて(1981年、NHK総合)
- 母さん家においでよ(1986年、TBS)
映画
編集- この広い空のどこかに(1954年)
- ママ横むいてて(1955年)
- 夕やけ雲(1956年)
- 涙(1956年)
- 二人だけの橋(1958年)
- 青空よいつまでも(1958年)
- 野を駈ける少女(1958年)
- 実いまだ青し(1959年)
- 母子草(1959年)
- 風の中の瞳(1959年)
- 若い涙を吹きとばせ(1961年)
- 故郷は緑なりき(1961年)
- ママおうちが燃えてるの(1961年)
- 純愛物語 草の実(1962年)
- 僕チン放浪記(1962年)
- かあさん長生きしてね(1962年)
- 風の視線(1963年)
- あねといもうと(1965年)
- 塩狩峠(1973年)
舞台
編集作詞
編集脚注
編集- ^ 会員プロフィール - 協同組合日本シナリオ作家協会
- ^ 「CD人物レファレンス事典 日本編」昭和・平成期 - JLogos 日外アソシエーツ
- ^ 会員の異動 - 日本シナリオ作家協会
- ^ 月刊シナリオ2014年3月号「追悼 楠田芳子」
- ^ a b 『現代日本人名録 2002』(日外アソシエーツ)
- ^ a b ゲスト情報 - 第4回 木下恵介記念 はままつ映画祭 2005