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楊穆
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楊穆
(よう ぼく)は、
中国史
の人物。
楊穆 (紹叔)
-
北魏
から
西魏
にかけての人物。
字
は紹叔。
楊鈞
の子。北魏の
永安
年間、
華州
別駕となった。
孝武帝
の末年、弟の
楊寛
に澄城県伯の爵位を譲られた。中軍将軍・金紫光禄大夫の位を受け、車騎将軍・都督
并州
諸軍事・并州刺史に任ぜられた。驃騎大将軍・開府儀同三司・華州刺史の位を追贈された。『
周書
』巻22に見える。
楊穆 (長和)
-
北魏
の人物。
字
は長和。楊徳の子。盪寇将軍・渭南県令を歴任した。享年は53。
1993年
に
華陰市
五方村で墓が発掘され、墓誌が出土した。
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