楊 涛(よう とう、中国語: 楊濤)は、清の官人。本貫は貴州黎平府。進士出身。
1799年(嘉慶4年)、己未科進士に及第した。庶吉士として選ばれ、官は翰林院検討となった[1][2]。後に翰林院編修に昇任した[3]。